2016/8/24-27 憧れの槍ヶ岳北鎌尾根

 メンバー : OSe、Sさん、Kさん

 コースタイム :
  24日 南魚沼市 20:00--沢渡 24:00

  25日 沢渡 6:00・・・上高地 6:40・・・徳澤園 8:30・・・横尾 9:40・・・槍沢ロッジ 11:10

  26日 槍沢ロッジ 3:00・・・水俣乗越 5:10・・・北鎌沢出合 6:50・・・北鎌沢左俣出合 7:20・・・
      北鎌尾根稜線 9:20~9:50・・・天狗の腰掛 10:50・・・独標 12:10~12:30・・・P12付近 13:40・・・
      北鎌平 15:50・・・槍ヶ岳山頂 17:10・・・槍ヶ岳山荘 17:30

  27日 槍ヶ岳山荘 6:10・・・槍沢ロッジ 8:30~8:50・・・上高地 12:40-沢渡 13:10-入浴・食事-南魚沼市 18:30

前々から今回のリーダーKさん、Sさん達と北鎌尾根に行こうという話をしていた。一方、みちぐさの北鎌尾根会山行が、お盆の12日から14日までの期間で、新穂高温泉から入り殺生ヒュッテでテント泊とする計画であった。

北鎌尾根へのアプローチが上高地からと新穂高温泉からの二通りとなるので、どちらからも入ってみたいと、北鎌尾根2回登りを企てていたが、みちぐさの会山行には、家庭の都合で行けなくなった。

昨年は稲刈りが始まる前の9月の第一週に行くと具体的な日にちまで決めていたが、都合が悪くなり取り止めとなった。 今年、79歳のSさんが、来年80歳になる前に、北鎌尾根に行くのが最後のチャンスと、トレーニングとして、八海山屏風道~八ツ峰の10回登りをしたり、中ノ岳、阿寺山等への登山、ランニングなどをこなし、着々と準備をしていた。

時折坂戸山で行き会うと打合せを何時するのかと聞かれていた。はっきりしない我々の態度に業を煮やしたのか、いよいよならば単独で行くと言い始めた。 当初、9月の第一週あたりにしようということであったが、他の行事が入り都合が悪くなったので、平日の8月の25日~27日に行こうということになった。

それっきり打合せを何時にするかなど具体的な話は無く、単独で行くと言い始めたSさんの奥さんが心配をして、リーダーのKさんに電話をしたらしく、出発間近の21日に打合せをすることになった。

日程、装備分担、登山計画書作成、保険の手配等の打合せを行い、前日の24日夜に南魚沼市を出て、上高地手前の沢渡の駐車場に泊り、翌朝、釜トンネルのゲートが開く時間を見計らって上高地に入ることにした。

今回のメンバーが入っている保険は、Kさんは怪我のみのスポーツ保険、Sさんは救援者費用のみの山岳保険、筆者は労山新特別基金であり、3人に共通の保険として、国内旅行傷害保険に入ることにした。

1人当りの補償は、死亡後遺障害1000万円、入院1万円、通院5千円、賠償責任3000万円、携行品10万円、救援者費用300万円であり、保険料は3泊4日で1人当り約1000円である。他に行方不明の場合の遭難捜索費用があるが、これを見込むと1人当り7000円くらいになるので対象から外した。これらを考えると、労山新特別基金は、つくづくお得で有難い制度だと思う。

登山計画書は、6月の安全登山教室の講師であった洞井孝雄さんが代表を務める、半田ファミリー山の会の書式(安全登山教室の時、了解を得た)と、みちぐさの書式を参考にして作成し、長野県に電子申請で送った。

リーダーのKさんは67歳、裏巻救助隊の隊長を務めた人で、北鎌尾根はこれまでに2回登っている。筆者と違い贅肉が付いておらず、トレーニングとしての坂戸山では、ダッシュで登ったり駅伝に出たりと、山では足が速く強い。

Sさんは、東北電力を定年退職した後、今や百名山達成者は大勢いて珍しいことではなくなったが、20年くらい前は、夫婦で百名山達成することなどは、偉業と称えられる出来事だったので、新潟日報に百名山達成の記事が載った。
ホノルルマラソンや100キロマラソンなどにも出ている。東北電力では若い頃電柱に登っていたから、高所では全く恐怖感を感じないという。

 24日 20時に迎えに行くというので、慌ただしく準備をしていると20分前に迎えに来た。
車は当初Sさんの普通乗用車ということであったが、相当年月がたった車なので走行に不安があることから、2年前に買ったというバンタイプの軽自動車で行くことになった。
我々の軽では荷物室が狭すぎて無いに等しいので、3人乗るとザック等の荷物が収まらず非常に狭くなる。「エンジンに力がないから、坂道にかかったらエアコンを切って」というSさんの指示で、一路沢渡を目指し走る。

梓川SAで休憩。ここで、Kリーダーより、明日はヒュッテ西岳に泊まる予定だったが、昨日宿泊の予約を入れると、非正規ルートに行く登山者は泊めないと断られたという。前に泊まった時は弁当まで作って貰ったが今回は泊めないという。それじゃ、大天井ヒュッテか槍沢ロッジかとなったが、槍沢ロッジに泊まることになった。小腹が減って食べた冷やしおろしそばが美味かった。

松本ICを降りて国道158号線に入り、最後のコンビニがある新島々で食糧と寝酒の缶ビールを買う。雨で所々水たまりがある駐車場に入り、乾いているところを探して車を停める。テントを張り寝る準備をして静かに乾杯する。槍沢ロッジまでということであれば、明日は時間たっぷりの行程である。駐車場に時折一台二台と車が入ってくる音を聞きながら就寝。

 25日 翌朝5時少し前に起床。テントを抜けてトイレに向かうと、駐車場の様子が以前とだいぶ変わっていて、案内所や休憩所、トイレ等がきれいに整備されているのにいささか驚く。バス亭に早くも登山者が列をなしている。トイレから帰って来ると、Sさんが持ってきたバネ量りで、それぞれのザックの重量を測っている。筆者のザックが一番重く15キロだという(自宅で測った時は16.5キロ)。出来るだけ軽量化しようと、ハーケンやカラビナ、ウエアなどを最小限にする。

支度を整えてバス停に向かうと、登山者の列は既になく閑散としている。3人なら上高地までの料金は、タクシーとバスはさほど変わらないのでタクシーに乗り込む。白かった空が青空に変わっていく。

上高地に着くと先に到着した登山者は既に出発したのかまばらである。水場の近くで朝食をとって6時40分出発。観光客がたむろしていて、間もなく朝日が当たろうとする河童橋を通過。前日の雨で濡れている道を明神まで行くと登山者の世界になる。パーティーを追越したり、単独登山者に追抜かれたりして、牧場の雰囲気を残す徳澤園に到着。ここはカレーライスが名物だったことを思いだし、帰りはぜひとも食べようと思いつつ後にする。

横尾に到着すると、横尾山荘の前の広場では、涸沢や槍ヶ岳などに向かう人達が大勢休んでいる。ここから槍沢ロッジまで、コースタイムは1時間40分。このまま行けば11時頃に着くが、早く着いたなら、明日の準備をして楽々していようということで出発。
槍沢沿いを槍見河原、一ノ俣、二ノ俣を過ぎて、石で組んだ階段の登山道が現れ登って行くと道の脇に、槍沢ロッジの小型水力発電所があった。この発電所は、小型水力発電の参考書に事例紹介されていて、筆者も小型水力発電を、巻機の山小屋近くの沢や、自宅近くの常時水が途切れない農業排水路に設置しようかと考えているので、参考に写真を撮らせてもらう。槍沢ロッジでは夜間の照明などは、この発電所で作った電気で全てまかなうらしい。

槍沢ロッジに11時過ぎに到着。宿泊の申込みをしてビールを飲む。テーブルに座っている登山者が美味そうにカレーライスを食べているので、昼食代わりに、たまらず1000円のカレーライスを注文する。ビールによく合う。二階の部屋に上がり、汗で濡れた下着を着替える。
槍沢ロッジは水が豊富であるからか、15時~18時頃まで登山者に風呂を提供している。浴室には2m四方の浴槽が2つあり、石鹸は使えないが、風呂から出ると何とも言えずさっぱりしたので、またまたビールを飲むことになった。

槍沢ロッジは不要な装備等は置いて行くことができるので、出来るだけ軽くなるようパッキングをする。明日の準備が完了し、17時からの夕食を食べるとする事がなくなる。談話室で本や衛星放送の天気予報などを見て、部屋に戻るとKさん、Sさんは既に眠っていた。

 26日 夜中にトイレに起きて、外に出ると星空だった。2時過ぎに他の登山者を起こさないよう静かに起きる。ザックをそぉっと担ぎ、足音を忍ばして階下へ降りて行くと、暗い玄関で女の登山者が二人出発の準備をしている。出発前にトイレへ行き戻って来ると、Sさんが、玄関の土間でプッシュアップ(腕立て伏せ)をしている。思わず目がテンになる。果たして、こんな人に付いていけるのかという思いが胸をよぎる。

3時、ヘッドランプを付けて槍沢ロッジを出発する。ほどなく槍沢小屋跡に着く。色とりどりのテントが多く張ってあり、灯りが点いて話し声が漏れるテントもある。テント場には、水場と真新しい有料トイレが立っている。

槍沢の水音が大きく響く中、水俣乗越分岐に到着。ここからは枯れた沢が登山道となっていて急登となる。途中から登山道が左の藪に入り、額に汗して5時に水俣乗越に到着。明るくなったのでヘッドランプを仕舞い、コンビニで買ってきた剛力彩芽が宣伝しているランチパックを頬張る。近頃、色々な種類が出ているランチパックを行動食に持ち歩くようになった。
左前方のギザギザの稜線の凹んだ部分を、「あれが北鎌のコル。そこから左の大きな岩峰が独標」とKさんが指さす。

水俣乗越から天上沢への下降路は、急傾斜に加え、踏み跡が雨水で抉られてザクザクとなっている。滑り落ちないよう藪枝につかまり慎重に降りる。途中まで降りると、朝日に照らされて黄金色に輝く北鎌尾根の全貌が現れ、尾根の連なりの頂点に槍ヶ岳が聳え立つ。
北鎌のコルから穂先がすくっと立つ槍ヶ岳までの稜線は、真横から見ていると意外に近い感じを受けるが、これから向かう尋常ではない尾根は果たしてどんなものか。

天井沢から北鎌尾根の槍ヶ岳と独標(右端)
転石だらけの天上沢に下り立つ。沢の上部にわずかに雪渓が残っている場所から、流れ落ちる水音が大きく響くが、伏流水となって天上沢に全く水が無い。沢の渇き具合からすると相当長く水が流れてないようだ。所々、平にならしてテントを張り焚火をした跡がある。

北鎌沢出合にも水の気配が全くない。水があると当てにしていたから途中で給水はせず、ザックの中には500のペットボトル1本と、ハイドレーションシステムの水が僅かに残っているだけである。Sさんが大天井ヒュッテからのルートである貧乏沢出合あたりが、沢が狭まっているから絶対水があると言う。とりあえず腹ごしらえをする。北鎌沢の左俣と右俣の出合に登ってみて、もしもなければ貧乏沢出合を探すこととなった。

10分ほどで左俣の出合に到着。やはり水がない。Kさんは右俣へ、筆者は左俣へ入ってみる。左俣に入って間もなく水音らしいのが聞こえる。もしやと思い足を速めると、小滝を滔々と水が流れ落ちていた。2リットルのプラティパスに水を詰め、「おーい、あったぞー」と叫びながら降りて行くと、KさんとSさんが水筒を持って登ってきた。その後、右俣を登って行くとチョロチョロであるが水があった。

北鎌沢右俣
P8より独標
北鎌沢右俣の登りは、出合からコルまでの標高差は640m。坂戸山1回半の登りだから、たいした事がないと高を括っていたら間違いであった。急登が一直線に稜線まで続き、傾斜が緩くなるような所がない。陽がさすと気温が上がり、どっと汗が噴き出る。沢の上部は踏み跡の土が流れて、水俣乗越からの下りと同じくザクザクな状態のところを今度は登ることになる。
Kさんの後を、下を向いて登って行ったら、北鎌のコルから独標寄りの稜線に出てしまった。途中まで先頭を登っていたSさんは、だいぶ遅れていて到着した稜線から「おーい」と呼んでも返事が無い。しばらくたって北鎌のコルの方から応える声がし、Kさんが迎えに行った。

北鎌沢は登り2時間の予定であったが、3時間かかった。北鎌尾根は、この北鎌沢の登りが一番大変で、尾根に上がってしまえば、あとはたいした事がないとKさんが言う。とは言っても、前方に見えるP8というピークは、けっこうの急登で気分が重くなる。この北鎌沢の登りで、Kさんがカメラを、筆者は手袋を拾った。登っている最中に、稜線に人影があったから先行のパーティーの物かも知れない。

喘ぎ喘ぎ、P8に登ると、目の前に大きくピラミダルな山容の独標が現れる。P8の先、頂部が平らな休憩ポイントである、天狗の腰掛で遅れているSさんを待つ。Sさんは調子が良く無いようだ。独標の基部に先行する登山者の姿が小さく見える。天狗の腰掛から先は、両側が切れ落ちた岩稜の登下降となる。独標の稜線に溝が見える所が直登ルートらしい。

独標の基部に到着すると、男2人、女3人の中高年パーティーが休んでいる。昨日、水俣乗越から入り天上沢でテントを張ったそうだ。男はハーネスで、女はスワミベルトである。北鎌沢で拾ったカメラと手袋は、このパーティーの物だった。

予定時間を2時間オーバーしているので、独標のピークへの直登ルート登攀は断念し、巻道のトラバースルートを行く事にする。直登を断念したので、ハーネスは着けない事にした。トラバースルートは、急な岩場やガレ場を細い踏み跡が千丈沢側を巻いていて、足を踏外すとかなり下まで滑落するので慎重に歩く。岩角を曲がるとさらに緊張する場所が現れた。

独標の巻道で最も緊張する場所
幅40cmほどの巻道の上は岩がハングしており、谷側は100mほど切れ落ちていて、ここを通過するには、頭をかがめて右足を50cm下の谷側の細いステップに置き、ザックが岩に接触しないよう、しっかり3点支持を守って通過する必要がある。
この場所は、北海道の大雪山で亡くなった登山家の谷口けいさんが、北鎌尾根のDVDの中でロープを出して通過した場所である。

次は岩壁のトラバースで、ホールドを慎重に選んで通過。そこを過ぎると古いスリングが1本ぶら下がっている高さ3mくらいのチムニーを攀じ登る。スリリングな場所を過ぎて、明瞭なルートが現れる。Kさんが「あれが独標のピーク」と頭上の岩峰を指さす。トラバースルートを左に外れてスラブを登り、独標のピークを目指す。履いているアクアステルスの沢靴は、フリクションが利いてスラブを快調に登ることが出来る。

独標のピークにて
スラブを登り切ると、浮石が多く点在するザレ場で、落石を起こさないよう慎重に登る。ようやく独標の稜線に到着。稜線を少し戻りピークに立つ。次第に雲が広がりつつある前方に槍ヶ岳がくっきりと立つ。はるか眼下の左に今朝下った天上沢、右に千丈沢が見える。左から大天井岳、西岳、東鎌尾根、槍ヶ岳、西鎌尾根、三俣蓮華岳、水晶岳などの連なりが広がる。

独標のピークにSさんが遅れて到着。到着するなり、岩陰に蹲り嘔吐する。近くにいたKさんが尋ねると、北鎌沢出合で食べたコンビニの稲荷寿司に当たったようだと言う。稲荷寿司は24日の夜、新島々のコンビニで賞味期限ギリギリのものを買ったもので、25日は上高地から槍沢ロッジまで気温が上昇する中を歩き、ザックにずうっと入っていた。変な味で発酵食品になったみたいと思ったが、酢が効いているから大丈夫と考えたそうである。

最初に北鎌のコルで食ったものを全部吐き、その後は水を飲んだだけで吐いたと言う。途中から調子が悪そうにしていたが、そういうことだったのかと納得した。歩けるというので独標を出発。稜線から下のトラバースルートに、追越したパーティーがロープを出して厳しい場所を通過しようとしている。手を振ると向こうも手を振って応えた。

独標から400mくらい行ったP12あたりで、Sさんが「少し横になりたい。平らな所が無いか」と言う。少し下った所にビバークポイントがあり、着くと、Sさんは「20分くらい横にならせてくれ」とザックからマットを出して横になった。顔色が白蠟のようにすこぶる悪い。Kさんと救助のヘリを要請するか否か話をしていると、横になっているSさんがauの携帯を取り出すが、アンテナが立たない。3人ともauなのでこの場所から警察に救助要請が出来ない。歩いた軌跡を記録するため、GPSを持っていたので、現在地の緯度経度を確認すると、N36度21分2.8秒、E137度39分10.4秒である。

老眼のためGPSの画面が小さく見にくいので、初めての山では、GPSとは別に(GPSが故障した場合を考えて)、緯度経度線を10秒毎に、磁北線を30秒毎に入れた―今回は縮尺1/10000でA3にプリントアウトし、色々な情報を書き込んだ地形図(水に強く破けず鉛筆とボールペンなどで書き込めるビューレックスIBという特殊フィルムにコピー、インクジェット不可)を作成して持ち歩いているが、それと照合すると、北鎌のコルと槍ヶ岳のちょうど中間地点あたりにいる。

携帯のアンテナが立つ場所まで行き、現在地の緯度経度の座標を連絡すれば、ヘリは真直ぐ飛んで来る。Sさんが回復するまでビバークして留まるか、1人が携帯の通じる所まで歩くか、通じなければ槍ヶ岳山荘まで行って救助を要請するかである。ツェルト等のビバークの装備はあるが、今夜から雨の予報なので厳しい事になる。さてどうするかとKさんと顔を見合わせていると、Sさんが「歩く」と言って起き上がった。厳しい表情のSさんはゆっくりと歩き始める。思うように足が動かず、頻繁に休みをとっての行動であるが、確実に槍ヶ岳に近づいて行く。

「熱中症もあるのでは」と言うので、Sさんのロープなどの装備を筆者のザックに移す。Sさんの歩行ペースが割りと一定なので、「16時か17時頃には槍ヶ岳山荘に着くかも知れない」とKさんが言う。明るいうちに到着出来ればグッドである。トラバースルートは岩が脆くガレ場が目立つようになり、踏み跡がそこかしこにあるが、斜面を少し離れた所から見ていると、登れると思うルートが見えてくる。

北鎌平直下の急斜面のガレ場で、空が暗くなったと思ったら雨とガスになり、雨具とザックカバーを出した。16時少し前に北鎌平に到着。天気が良ければ2~30分で槍ヶ岳山頂に着くとKさんが言うが、ガスで視界が15mくらいなので山頂の方向がさっぱり分からない。方向が分からずに進むと、とんでもない場所に行ってしまうらしい。GPSで槍ヶ岳山頂をポイント登録し、南西の方向が山頂と確認して、コンパスを出してこの方向だとKさんに示す。

雨に濡れた岩は滑りやすく、アクアステルスの沢靴でも油断が出来ない。槍ヶ岳山頂へは、風化が進んだ岩塊の岩登りで、岩が動かないか案じながら登る。「ここがかの有名なチムニー」と教えられ、ホールドに手足をかけて登攀する。案外簡単に登ることができて拍子抜けがした。上にもう1つ小さなチムニーがあって、そこを登ると山頂の祠のすぐ後ろに出るのだが、よく分からず山頂の右の方へ巻く。Kさんが岩の割れ目に沿って攀じ登ると「おーい、祠があるぞ。着いたぞ」と声を上げる。

槍ヶ岳山頂にて
17時10分、槍ヶ岳山頂に到着。山頂には誰もおらず、ガスで霞む反対側の鉄梯子をカンカンと誰かが登ってくる音がする。最後にSさんが登頂。梯子を登ってきた登山者にカメラのシャッターを押してもらい、3人で記念撮影をした。アクシデントが色々とあったが、Sさんの頑張りと根性に脱帽である。Sさんは坂戸山の登山道を、自発的に階段の材料を担ぎ補修する人だが、並みの人ではないと改めて思い知った(みちぐさにも並みの人ではない人が多々いるが・・・)。

槍ヶ岳山荘に宿泊の申込みを急ぐので、Sさんを後にして先に下山をする。17時30分に槍ヶ岳山荘に到着。予定より3時間の遅れで、14時間半の行動であった。中に入ると大勢の人でごった返していた。我々以外にも雨具を着た登山者が続々と入ってくる。何か違和感がある人達がいるなと思ったら、韓国人の男女のグループが、受付けの前のテーブルを占拠して、缶ビール片手に大声で話している。傍若無人な振舞とはこの事か思う半面、彼等のたくましいエネルギーを感ずる。

カイコ棚のかび臭い部屋に入り、雨と汗で濡れた衣類を着替え、疲労感で体を動かすのが億劫であるが、気力を振り絞り荷物の整理をする。Sさんが迷惑をかけたと缶ビール代をくれたので、Kさんと750の缶ビールで乾杯する。

北鎌尾根で我々の後ろにいた5人パーティーは、槍ヶ岳山荘に到着した気配が無く、少なくとも我々より1時間以上は遅れていたから、途中で暗くなっているはずで、北鎌平あたりでビバークをしたのだろうかとビールを飲みながら考える。
Sさんはよっぽど消耗したのか、夕食はいらないと着替えもせず寝てしまった。Sさんの分のおかずを食べると流石に満腹になった。下着を着替えても何か体がムズムズとして気持ちが悪いが、槍沢ロッジの風呂は快適だったなと思いつつ眠りに入った。

 27日 Sさんはすっかり回復して、朝食を食べることができた。外が雨とガスに包まれている中、雨具を着て6時過ぎに槍ヶ岳山荘を出発する。膝痛の用心に両膝にサポーターを着け、ストック2本を手に持つ。雨なので天狗原へは向かわず速やかに下山することになり、昨日のSさんが嘘みたいに快調に歩く。

大曲り付近から登ってくる登山者とすれ違うようになる。雨が小降りになったので雨具を脱ぎ折畳み傘を出して、槍沢ロッジには8時半に到着した。Kさんからビールを飲んでいいぞという言葉に甘えて、朝から1杯1000円の生ビールを頂く。行動中の飲酒はもっての外という言葉が頭から霞んでいく。

横尾には10時に到着。Sさんから「缶ビールを飲まねかい」と言われ、一旦は固辞するも、意地汚さから頂くことにした。外で飲んでいると、韓国人男女が約30人で槍ヶ岳に向かおうとしている。額が禿げ上がり、赤いTシャツを着て胸にトランシーバーを下げ、腹がでっぷり出ている人がリーダーらしく、眉間に皺を寄せながら何かを叫んでいる。メンバーを見ると、コンビニあたりで売っているビニールカッパを着ている人が何人かいて、中には破けている人もいる。雨の中、3000mの高みに向かうにはお粗末である。2013年の中央アルプス空木岳の事故は教訓になっていないようだ。山小屋は今夜も喧騒に包まれるだろう。

徳澤園に11時に到着。目当てのカレーライスを注文し、ついでに生ビールも注文する。美味かった。アルコールが足に回る。中国人と思しき観光客が大勢いる上高地に着くと、我々登山者が異邦人のようで、場違いな感じを否めない。沢渡に向かうタクシーの中、運転手が「中国人は上高地あたりの観光が目的で、韓国人は山に登りにくる。両者ともマナーが悪い」と言う。

アクシデントが色々とあったけれど、あっという間に充実した4日間が過ぎた。
北鎌尾根は、以前登った妙義山の茨尾根縦走とはスケールがまるで違う。鎖や梯子・標識は一切なく、自己責任で踏破しなければならない。また、携帯の通じないバリエーションルートを行く場合は、アマチュア無線の資格をとり、無線機を持たなければならないと思う(衛星電話にはとっても手が出ないが)。

北鎌尾根にはもう一度登ってみたい。次回は好天の日を、独標の直登、稜線通しの登下降をやりたい。 ・・・・・OSe