2013/7/14-17 聖岳・光岳 周遊登山

   メンバー : OSe(記)、+7

と名がつくからには、何か宗教と関係がある山かと思っていたらそうでは無かった。深田久弥さんの「日本百名山」には、沢の名前からヒジリ岳となったらしいとあり、「しかし聖岳に関しては、こんな語源は忘れてしまった方がいい。そして初めから聖岳という美しい気高い名があったことにしよう。」と書いている。

平成21年の10月、荒川三山・赤石岳を縦走した時、南に見える大きな山が聖岳と指差しされて、さらにその奥に光と書いてテカリと読む、日本アルプス南端の光岳があると教えられ、それらの名前と山容が心に深く刻まれた。今回の登山は、体力はともかく精気は充実している男性5人、女性3人の中高年8人(どちらかというと高年)で縦走しようというものであった。

メンバーは「六日町山の会若ぶな」の有志であり、筆者は最年少である。行程は、中央自動車道飯田ICを降りて、国道152号から遠山川沿いの林道に入り、便ヶ島登山口に行って聖岳に登り、光岳まで縦走して易老渡登山口に降りて、車を置いてある便ヶ島まで戻ってくるものである。
易老渡手前にゲートがあり、17時から翌朝8時まで通行止めとなっている。登山の行程を考えると前日に便ヶ島の登山口に入っている必要があり、登山口に1泊、聖岳、光岳の山小屋に2泊の計3泊4日の山行であった。

聖光小屋にてバーベキュー

14日 時々小雨が混じる中、六日町ICを11時に集合して出発した。現地の予報では天気は回復基調である。しかし、飯田ICの手前で断続的に強い雨となり、天気回復は望めないのではと思いがつのる。
飯田ICを降りて途中のガソリンスタンドで車に給油をして、便ヶ島に向かう林道を15分くらい走ると急にエンジンの調子がおかしくなった。エンジンが噴けなくなり停まってしまった。スタンドのレシートを調べると、軽油を入れなければならないところを、ガソリンとなっている。まだ、携帯が通じる場所であったので、レシートに書かれているスタンドに電話を入れると、スタンドの店主がすぐにミスに気づき、代りの車を手配する事になった。しかし、ゲートの閉鎖時間が迫っていて、この分では大幅に予定が狂うのではと懸念された。

今夜は登山口の便ヶ島の聖光小屋に泊まる予定である。聖光小屋と携帯がつながり(聖光小屋は衛星電話)、リーダーが状況を説明すると、小屋の主が、何回か往復になるがゲートまで軽自動車で迎えに行くという。しばらくすると、スタンドの店主がジャンボタクシーと一緒に平謝りでやってきた。車は下山までにスタンドの店主が直しておくことになってタクシーに乗り込む。ゲートはたまたま登山事故があって、警察と消防のレスキューが入山していたため閉鎖になっていなかった。聖光小屋に予定より1時間遅れの18時到着した。今回、携帯の通じる所で車が停まったので良かったが、もっと奥の携帯が通じないところだったらどうなっていただろうかと思う。もっともバーベキュー用の食材はたっぷりあるし、車の中が狭ければシェラフ、シェラフカバー、ツェルトがあるから外で寝ればいい。それも一興である。

聖光小屋は風呂、水洗トイレがあるきれいな小屋である。ただ小屋主の青木さんの体調が思わしくなく、食事が出せないので自炊である。我々以外の泊り客1人。コンロを使って焼肉をする場合は駐車場の隅の四阿でしなければならない。今夜のメインメニューは、六日町のヤマチクで仕入れた越後モチブタのバーベキューである。カンビール、焼酎、酒などがこれでもかというくらい出てきて、今日のアクシデントと明日の好天を祈念して大いに盛り上がった。

15日 昨日の盛大な天気祭りも虚しく雨である。雨といっても小雨であるので筆者は傘をさすことにした。小屋主の青木さんと人懐こい愛犬に見送られて、ここから標高差約2000mの聖岳山頂を目指して5時20分出発。便ヶ島から遠山川沿いに歩く登山道は、所々崩落しているが、トンネルや石積、法留等の土木構造物や丸太を使った落石防止柵がある。かつて、遠山川源流域は江戸時代より良質な木材の産地であって、近年では森林鉄道が通っていた。登山道はその跡を通っている。西沢渡まで平坦な道のりである。西沢渡で沢を渡るロープウェイがかかっている。許容荷重150キロのゴンドラに3人で乗り込む。ロープを手繰って向こう岸に渡るがけっこう時間がかかる。沢を渡ると土台が残っている造林小屋跡があり、さらに進むと大きな廃屋がある。林業が盛んだった頃の作業基地だったのだろうか。

ここまで歩いて来る途中、手足に違和感を訴える人が続出。見るとヤマヒルがくっ付いている。中には美味しく血を頂いたらしく、丸々となったヒルもいた。筆者もスパッツを恐る恐る捲ってみると一匹うごめいていた。不思議と同行の女性にはくっ付かず男性ばかりである。ヒルも獲物を選ぶのだろうか。
西沢渡からは樹林の中の急登になる。小雨は止んだがガスが漂い見通しは全く利かず、尾根道を黙々と登る。下山者と頻繁にすれ違うようになり、「下の方でヒルに注意した方がいいですよ」と言うと、「昨日、顔にチューされちゃいました。昨日は雨で散々でした」と屈託なく細見の若い女性が答えた。やっぱり獲物を選ぶようだ。

薊畑からの聖岳
聖岳山頂からの赤石岳
樹林帯の前方が明るくなったなと思ったら、10時40分、聖岳への分岐点である薊畑(2400m)に出た。青空も出ている。昨日の祭りの御利益が効いてきたか。聖岳の灰色にガレた頂上が見える。薊畑から聖岳山頂までの標高差は約600m。あと2時間半程度かかる。ここで腹ごしらえをして、サブザックに必要品だけ入れて出発する。小聖岳(2662m)の手前で森林限界を抜ける。ここからヤセ尾根の登山道となり、道の左側は切れ落ちていて油断できない。ヤセ尾根を過ぎると聖岳の頂上まで広い砂礫の大斜面が続き、ガレ場のジグザグ道の途中にライチョウの親子を見て癒される。

13時10分、平坦な聖岳の山頂に到着。遠方の展望はきかないが、谷を挟んだ北の方向に、深田さんが南アルプスの宗家と呼ぶどっしりと構えた赤石岳、赤石岳の背後に全貌は見えないが荒川三山の山並が広がる。そこから左に目を転ずると、赤石岳からの稜線に大沢岳、兎岳のピークが見える。大沢岳の右の沢に百閒洞山の家が見える。南の光岳方面は稜線にガスがかかっている。東に茫洋と富士山が鎮座している。今回の山行の計画立案者である阿部進さんが、「10年前に叶えられなかったものを取り返した」と言う。10年前、同じルートを歩いたが、雨風で何も見ることができなかったという。各人各様の思いが山頂で交錯するひと時であった。

山頂に20分ほどいて下山にかかる。途中の稜線から樹林の谷間の中に、赤い屋根の聖平小屋が見えた。15時半に小屋に到着。聖平小屋は薊畑分岐から30分のところにあり、静岡県側の聖沢登山口に通じている。収容人員が120名である。到着すると、お代り自由のフルーツポンチが玄関先に置いてあり、消耗した体に甘さが嬉しい。350のカンビールが250円とあり、通常の半額だからナニコレと思ったら賞味期限切れのものだった。さっそく、とりあえず一人2本ずつ買って小屋の外のテーブルで、ツマミを持寄り飲み始める。小屋のスタッフは、味は変わらないと言うが、風味が落ちて今一つである。1泊2食で8000円。筆者はシュラフ持参だから1000円引きである。夕食は可もなく不可もなく、こんなもんだというところか。夕食後、メンバーはくたびれたのか早々に寝入った。明日の好天に期待をして18時半就寝した。

16日 聖平小屋を5時20分出発。2日目は光岳まで稜線歩きである。しかし、昨日の祭り方が中途半端だったのか、ガスで展望が利かず風も強く寒い。下を見て黙々と歩く。
途中でクロユリを目にして、上河内岳に7時50分到着。相変わらずガスと風が強い。「天気が良ければ稜線漫歩が楽しめたのに」という声が出る。幻想的な亀甲状土の草原を通って茶臼小屋への分岐に到着。ここで時間が少し早いが昼食となった。風が弱い所に移動してコンロでお湯を沸かし、パスタ、五目御飯、コーヒー等を楽しむ。

南下するにしたがい、樹林が深まり足元にはシダ類が目につくようになってきた。茶臼岳、喜望峰のピークを踏んで到着した易老岳の山頂は木々の中にあった。標柱が無ければ、どこが山頂かと分からない。13時到着する。

易老岳の分岐に大きなザックを持った1人の登山者がいた。メンバーに水を分けてほしいと話しかけてきた。聞けば北岳からテント込30キロ超のザックを背負って12日間をかけて縦走してきたが、この分岐に来たら団体さんがいて、間違って易老渡の方に降りてしまい、今登り返してきたところだという。最初学生かと思ったが筆者とそう歳は変わらない。だいぶ消耗している。たいしたものだと感心したが、後日、HSさんの北アルプスを40キロのザックを背負って、14日間縦走したという話を聞いてビックリした。

光岳小屋への到着
光岳山頂
光石
面平
易老岳から光岳へは、木々が鬱蒼と茂る鞍部の三吉平へ下り、そこからゴーロの谷筋を登る。急な谷筋を喘ぎながら登ると、パイプからチョロチョロと冷たい水が出ている水場に到着。ここで今夜と明朝の炊事用の水を2ℓ補給する。水場から上部一帯を静高平と呼ぶようだ。水場から程なく亀甲状土が見られるセンジヶ原に出る。草原に敷いてある
木道を進むと、ガスの中に光岳小屋が浮び上ってきた。光岳小屋に15時40分到着した。

小屋に荷物を置いて光岳をピストンする事にして、チェックインする。この小屋は50歳以上かつ3人以下まで食事を出すという、ユニークな仕組みで、計画立案者が予約の際、3+3+2という事にして食事を出して貰えないかと交渉したが駄目だった。

光岳小屋は公設経営で、川根本町県営となっている。食事無しで1泊4500円。筆者はシュラフ持参なので1500円引きである。到着時に程よい温かさのお茶が出た。さすが静岡県である。

南アルプス最南端の光岳山頂までダケカンバが混じる樹林の中を20分ほど歩く。山頂は木々に囲まれていて展望はきかない。山頂から15分ほど下ると、光岳の山名の由来と云われる光石(テカリ石)がある。白く輝く石灰岩の巨岩が2つ。沢側の高さは50mくらいか。ガスが薄れて遠山川の深い谷間が眼下に見える。

深田さんの「日本百名山」に日本のハイマツの南限は、光岳だという。「頂上は狭かった。少し行くと御料局三角点のある頂上がもう一つあった。ここの方が幾らか広い。パインアップルの缶をあけ、一抹の匐松の根元に腰をおろして休んだが、その匐松こそ日本最南端のものであった」。三角点があったか覚えていないが、山頂の先に展望が開けて、眼下に光岩が見える所にハイマツがあった。茶臼岳を過ぎて仁田池付近で見たライチョウも、光岳が南限だという。

小屋に戻り、1本600円の350カンビールを、夕食まで今日の山行を振返りつつ飲む。自炊組は小屋食組が終わるまで食堂を使えない。食堂はコンロの使用ができ、朝は4時40分頃までなら食堂を使用できる。夕食は昼食と同様、お湯を沸かし炒飯、カレー御飯等を食べて、前夜と同じく早々に寝た。

17日 昨日、30キロ超のザックを背負っていた人が、テントから出ていたので、記念撮影のシャッターを押してもらって光岳小屋を5時出発。昨日と同じくガスで展望がきかない。縦走最終日は、易老岳まで戻り易老渡の登山口に降りる。給油ミスをしたガソリンスタンドに携帯が通じ、易老渡登山口に車を置いてもらう事になった。
6時50分、易老岳分岐に到着。標高が下がるにつれ次第に、木々が太く大きくなる。
標高1480mの面平の森は、ヒノキ、ブナ、ミズナラ、サワラ等の樹齢500年とも云われる巨木が生茂り、その美しさに圧倒される。面平という地名は、ここの木がお面の材料として使われた事から、付けられたそうである。

ずぅっと森の中を歩いていたため、遠山川にかかる幅1mほどの橋の向こうが、光に溢れていて眩しい。陽が射す易老渡の登山口に10時到着。車は駐車場に置いてあった。車の中の発砲スチロールの中に入れてあったカンビールが、まだ冷たくて美味しい。自分の畑で作ったというメロンも出てきて、やさしい甘さが体にしみる。

帰りは、日本のチロルと称される「下栗の里」に立ち寄る事になった。メンバーの「たまげた所に住んでいるもんだ。例えれば、日光いろは坂に家を建て自給自足の生活をしているようなワイルドな集落だ。娘を嫁にやるには躊躇する。でも住めば都か」と声が出る。急斜面に家が建てられていて、道路は狭く急勾配である。家の周りの小さな畑はよく手入れがされているが、転げ落ちたらただじゃ済まない傾斜である。冬はたぶん道路が凍結するだろうと思うが、車の運転は大丈夫なのかと、いらぬ思いが込み上げてくる。その集落の上に、土産屋を兼ねた食堂があり、そば定食が美味かった。

かぐらの湯で4日間の汗を流し、件のガソリンスタンドに寄ると、店主は不在だったが女房が出てきて、平謝りで軽油を満タンにしてくれ、地元のパン屋の美味しいパンだと言って人数分を渡した。一同、スタンドに寄る前、車中で最後はどういう締めになるかと喧々諤々話をしていたが、これでメデタシメデタシという結論になって帰路についた。