2014/10/19-20 平ヶ岳 快晴フルムーン山行

     19日(快晴) 鷹ノ巣登山口 6:00・・・下台倉山 8:15・・・台倉山 9:20・・・池ノ岳テント場 12:15
     20日(晴→曇)テント場 6:15・・・下台倉山 9:25・・・登山口 11:10
     メンバー : TH(記)、+1


平ヶ岳には、どうしても愛妻を連れて登らなければならなかった。
中ノ岳と飯豊の小峰には家内を立たせたので、最後の宿題として残った頂である。

「平ヶ岳は、展望がなければ意味がない」と考え、何度かのチャンスを見送り、皇太子ルートも検討し、逡巡しながら機会を伺ってきた。

今年も何回かの日程を流し、最終機会の10月下旬に至った。
おかげで、紅葉、展望、眠れない夜、足の痛さなど・・・平ヶ岳を満喫した。
山頂部にテントを設営してから翌朝までは、他の登山者に一人も逢わず、ラブラブ老夫婦のみの贅沢な山だった。

最初に平ヶ岳に登ったのは、高校1年のとき。
山麓の従兄妹の家に泊まって、単独で山頂を往復した。

「遠いぞ」と聞かされていたので早朝に歩き始め、9時前には山頂に着いていた。
しかし山に不慣れだったので、前坂のきつい登りでへばった事を思いだす。

20歳の誕生日には、独りで山頂の湿原に泊まった。
74cmのキスリングに“ さかいや”のツェルトを持参して。
当時の教科書に従い、テント周りに排水溝を掘ったことは事実だから、正直に告白する。
その後も何回か登ったが、次第に観光地化していったこの山から足が遠のいた。

池の岳を目指す連れ合い
平から兎・中・丹後
翌朝も快晴
10年前に越後三山から尾瀬まで縦走した際、山頂付近のホワイトアウトで進めずに、寒さに震えた1日は強烈な印象を残している。

その上越国境の稜線を眺めた連れ合いは、「よくも、雪のある時期にこんなコースを独りで歩いたもんだ」と言った。
山を知らない者の言である。

晴天の残雪期には、鼻歌交じりだ。
“ 晴天”ならば。
その時は吹雪の中で、シュラフカバーのみの天幕は寒かった。

「あの時、雪の中で一夜を過ごせたのだから」と、今回もシュラフは持参しなかった。
甘かった。ファスナーが壊れたカバーは、寒かった。

夜半に家内のダウンジャケットを借りたが、寒さと背中の痛さで一睡もできなかった。
隣のシュラフからは、健やかな寝息が聞こえていたのに。

「起きぬけに温かいラーメンでも」と思ったが、初体験のコンロの不調でそれも駄目。

2日目の朝も快晴で、テントを出ると一面の霜だった。寒かった訳である。

登りの際に、連れは池ノ岳の登り始めで足の不調を訴え、休んだりカメになったりして山を楽しんでいた。

彼女は、下りでも大いに楽しんだ。
あの前坂で、である。

かつてはハーネスやザイルにも触れたはずだが、岩っぽい下りを“ 慎重に、慎重に”歩いていた。
内緒にしていたが、実は私も足先の痛みに泣いていた。

ほぼ同時に大田山の会に入った直近上位の先輩:Kさんのお下がり靴(カモシカ製ワイルドキャット)のせいか、下りの指の痛さは尋常でなく、これも初体験となった。

下山後は、尾瀬口船着場に近い従兄妹の家で一服させてもらい、沢山の野菜を土産にして、紅葉盛りのダムサイトを帰路についた。

※ 山頂の一角から、六日町や守門の屋並みが見えることを知り、自分としては大発見だった。
電子地図等で正確な場所を確かめてみたいと思っている。