2014/11/15-20 キナバル山

    - 初めての海外登山 -  マレーシア キナバル山 ロウズ・ピーク (4095m)
                           メンバー : OSe (総勢15名)



キナバル山は、東南アジアの最高峰(諸説あり)であると聞いてはいたが、行けるとは思って無かったから、長い間、東南アジアのどこにあるかは知ろうとしなかった。今回のキナバル登山への参加は、筆者がもう一つ入っている、「山の会若ぶな」の有志が、酒の席で、キナバルに行ってみるかという話になって、酔っ払っていた筆者がオレも行くと口走ったことから始まった。

当初、6月か7月に行くという事であったが、その頃はいろいろと忙しく、参加は難しいかなと思っていたが、稲刈り後の11月に変更となって好都合となり、7月に旅行会社からキナバル山の登山案内が送られてくるようになると、俄然現実味を帯びてきた。送られてきた登山案内で、キナバル山はマレーシアのボルネオ島にある事を初めて知り、だいぶ前に失効していたパスポートを取り直して、気持ちはすっかりその気になった。

みちぐさの忘年会が、マレーシアから帰国直後の11月22日だから、HCのKさんに忘年会の段取りをお任せ(投げて)して、心はキナバルに飛んでいた。キナバル登山は、先に述べた若ぶなの有志を中心にして総勢15名となった。旅行会社の最少催行人員8名を十分満足するので、他者が入らない我々だけのグループとなった。

キナバル山は、日本から約4100km離れた、ボルネオ島北部マレーシア領のサバ州にあり、標高は4095m、北緯6度5分 東経116度33分の位置にある。山頂は花崗岩独特の岩場が広がり、山の麓は世界でも有数の生物多様性に富んだ熱帯雨林のジャングルとなっていて、山域はユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている。


11/15 成田発14時55分のマレーシア航空の直行便で、サバ州の州都コタキナバルに向かう。成田空港で旅行会社のガイドとして、冬は上越国際スキー場でスキー学校の校長をしているという荻野恭宏氏と合流する。夏は岩登り、沢登りに興じ、つい最近マッターホルンを登ってきたという。

機内はほぼ満席で、体の線が露わに出る制服に身を包んだ笑顔の客室乗務員から、ビール、ウィスキーなどを貰って堪能していると、6時間ほどでコタキナバル国際空港に到着した。空港からホテルへ向かうバスに乗るため外に出ると、熱帯のねっとりとした温かい空気に包まれた。バスに横綱白鵬にそっくりの現地ガイド、ファビアン氏が待っていて、流暢な日本語で通貨やホテル等について説明をする。

ファビアン氏は、マレーシアの国教がイスラム教にあって、クリスチャンであるという。車窓の外の夜景に異国にきたという思いを強くする。時差は-1時間である。


11/16 ホテルで朝食をとり、登山に不要の荷物はホテルに預けて、ファビアン氏が同行するバスでキナバル・パーク・ヘッドクォーター公園本部(P・H・Q)に向かう。ここで入山手続きを行い、公園内のシャトルバスに乗換えて、現地の登山ガイド3人とティムポホン登山ゲートに向かう。一緒に来たファビアン氏は、平地でのガイドであり、我々が下山するまで、一旦お別れである。

キナバル山は、全部予約制であり、日本の山小屋のように登山者を詰込むような事は無い。また、一人であろうと必ず登山ガイドをつけなければならない。この3人の登山ガイドは、サンダルもしくは、我々が子供の頃履いたゴムの短靴のような靴を履き、小ぶりのザックに普通の雨傘を差しこんでいる。

キナバルは、日中、1~2時間のスコールが頻繁に降るので、雨具などを着ず、雨傘でやり過ごすらしい。頭に描いていた登山ガイドとは、風貌がほど遠い。荻野ガイドがこの3人にテキパキと何やら指示をするが、何を言っているかさっぱり分からず。

P・H・Qに到着する前、バス休憩所の展望台で、キナバル山を見た。山体に所々ガスがかかり、大きな台形に、いくつもの岩峰が飛び出ていて王冠か薔薇の花を連想し、その迫力に圧倒される。日本の山でいえば、北海道のトムラウシ山に似ていると思った。

キナバル山への登山ルートは2本あり、2本は途中で合流するが、我々はサミットコースと呼ぶルートを登る。ティムポホン登山ゲート(標高1890m)で入山届に各自が署名をして、10時35分出発する。初日は約6時間かけて、ラバンラタ・レストハウス(標高3272m)という山小屋に泊まり、翌朝、山頂を目指す。山頂から下りたら、また、同じ山小屋に泊まる山中2泊3日の行程で、一般的には1泊2日が普通であるから、楽々余裕の山行である。

熱帯雨林の中は、頭上高く木々に覆われて鬱蒼としている。登山ガイドを先頭にゆっくりと赤茶けた登山道を登る。湿度が高いので、ジトッと汗がにじむ。林の中にガスが漂い、雨が当り始める。雨具を着込む人がいるが、筆者は折畳み傘を広げる。熱帯のスコールかと思ったが、雨は小降りで収まった。植物に疎い筆者であるが、ウツボカズラだけは分かり、登山道の脇にひっそりと妖しく獲物を待っている。

30~50分間隔でトイレ付のシェルターと呼ぶ休憩所があり、荷物を降ろすと数匹のリスがエサをねだりに寄ってくる。荻野ガイドから絶対に手を出さないよう注意を受ける。リスに毒があり、噛まれると重大な事になるという。日本人は可愛いと手を出そうとするが、欧米人は足で追っ払うという。

樹高が低くなり、木も疎らになってきたと思ったら、スーッとガスが晴れて大岩壁が目の前に現れた。唐突なのであわててカメラを構えたが、すぐにガスに隠れた。少し行くとガスの中にラバン・ラタ・レストハウスの白い建物が浮び上った。3階建の大きい建物であり、先ほどの大岩壁は、パナール・ラバンの大岩壁と云い、山小屋はその目の前にある。ラバン・ラタ・レストハウスまで登山ゲートから5時間45分であった。途中の7ケ所のシェルターでトータル2時間くらい休んだから、実歩行時間は3時間35分であった。しかし、高山病予防にこれくらいの時間が必要なのだろう。

ラバン・ラタ・レストハウスは、玄関が山側の2階にあり、中に入ると左側にフロントと売店があり、右側がバイキング方式の食堂となっていて、窓の外の眼下に熱帯雨林が広がる。室内は広く清潔感があり、窓側の席には欧米人が陣取っていて、厨房には帽子を被った5~6人のマレーシア人料理人が働いている。日本の山小屋とは少々イメージが違う。電気は発電機では無く、麓から登山道沿いに太いケーブルで引張ってきている。

登山ガイド達は1階に入ったようだ。受付を済ませて3階の泊まる部屋に入ると2段ベッドが並んでいた。ザックを降ろし、さて食堂でビールでも飲むかということになるが、「頭が痛い、少し休んでいる」と高山病の初期症状を訴える人がいた。

体が汗で濡れたので洗面所に行き、シャワーを浴びる事にした。シャワーは温水が出ず、冷水である。水行のごとく震えながらシャワーを浴びるとサッパリとした。因みに山小屋のトイレは水洗である。ただし日本のようなウオッシュレットでは無い。コタキナバルのホテルでもそうだったが、便器のそばにシャワーノ ズルがついている。最初、これで便器にこびりついたウ○○を掃除するのかと思ったが、そうでは無かった。シャワーノズルを手に持って、コ○○○にめがけて噴射するのだ。手に持ったノズルの角度、水圧の調節がけっこう難しく、慣れないと便器をビショビショにしてしまう。これも冷水であるので、まともに当ると冷たさが脳天を突き抜ける。

シャワーを浴びてサッパリしたところで、売店でビールを買う。日本と違い缶ビールは320mLと小さく、これが日本円にして約1000円と高い。高いがタイガービールという銘柄が美味い。5000円単位で両替をするから、調子にのって飲み続けると見る間に金が減る。持参のウィスキーを持ち寄って飲んでいると、夕食の時間となり、料理の前に人が並び始めた。
西洋料理と中華料理が混じりあったようなメニューで、まあまあいけるが、長粒種のインディカ米は単品ではいただけない。これは他の料理と混ぜて食べるものだった。いつの間にか、熱帯雨林が闇に沈もうとしていた。


11/17 登頂日。午前2時頃、部屋の外で早く出発する人達の物音がする。外に出るとヘッドランプの明りが大岩壁の上部に列をなしている。星空が広がり今日の天気は良さそうだ。早立ちの人達は、頂上に登ったら、そのまま下山するらしい。風があり、寒いのにTシャツと短パン姿の白人に驚く。

朝食は早くから食べられ、山小屋を3時50分に出発する。ヘッドランプを点け、荻野ガイドより途中にチェックポイントがあるから、入山許可証を首に下げるよう指示される。山小屋からは急登となるが、木製の階段が設置されていて、スムースに登ることが出来る。森林限界を過ぎると岩場となる。ロープにつかまり登るが、緊張するような場所は無い。2時間ほどでチェックポイントのサヤサヤヒュッテに到着し、入山許可証と名簿の照合が行われる。トイレもここが最後である。

次第に明るくなり、雲海のかなたに御来光が上がる。ここから上部は花崗岩の一枚岩となる。岩の表面は20cm程度に剥がれていて、斜面の傾斜は緩やかであるものの、もしも静かに滑り落ちてきたら怖い事になる。寒いので1枚着ることにした。

頭上に特異な岩峰が聳える。キナバル山は全部で16ものピークがあり、マレーシアがイギリスの植民地であったことから、それぞれに英語名の名前がついている。ドンキーイヤーズ・ピークとかセントジョンズ・ピーク、サウス・ピーク、アグリーシスターズ・ピークなどである。そのうち我々が目指すのは、最高峰のロウズ・ピーク(4095m)である。

キナバルの山名は、マレー語でキナは中国、バルは未亡人で、中国の王子とその未亡人の伝説が由来であるという説と、アキ・ナバル(祖先の霊る山)がなまってキナバルになったという説があり、後者の説が有力であるらしい。

サヤサヤヒュッテから上は、登路に目印のロープが延々と続く。以前はペンキで登路を示していたようであるが、世界遺産となってロープにしたようだ。岩はフリクションが効き、好きな所を歩ける。ガイドに注意を受けないよう、ほどほどに離れて歩くことにする。

登山ガイドが前方を指差して、「ロウズ・ピーク!」と叫ぶ。尖がった頂に、早立ちの登山者達が小さく鈴生りになっているのが見えた。間もなく、続々と下山者達とすれ違うようになる。頂上直下の急登を登り、山小屋より約4時間でロウズ・ピークの狭い頂上に全員が立った。我々の他は誰もいないので、真っ青な青空が頭上に広がる山頂を独占でき、360度の視界には、熱帯雨林とそれぞれにユニークな形状のピークが目に入る。

西に人の指にそっくりなオヤユビ・ピークが斜めに傾いて立っている。人工的に作ったのではないかと思う、斜めに立つピークは、これまでに見た事の無いもので、しかもオヤユビと日本語で意味が通じるのは不思議である。 ロウズ・ピークの北から西にかけて、深い谷となって足元から切れ落ちていて油断ができない。さすがに風が強く寒いが、しばし堪能して下山にかかる。頂上直下で、荻野ガイドから「もっとリアクションを付けて!」との注文を受けて記念写真を撮った。

登頂を達成したので、下山はのんびりとしたものになったが、急速にガスが上昇してくるのが見て取れる。サヤサヤヒュッテを通過し、岩場から離れる頃になるとガスに包まれた。雨っぽいが雨具を出すほどでは無い。樹林の中の階段を下って行くと、右の藪からヘルメットとハーネスを付けた、ガイドと思しき男1人と、女2人の白人の男女が出てきた。

藪の向こうには大岩壁が広がる。荻野ガイドに聞くと、イタリア語で「鉄の道」を意味する「ヴィア・フェラータ」と呼ぶルートがあり、岩肌にケーブルや、梯子、橋などが設置してあり、登山の上級者ルートであるが、ガイドが付いているので初心者が登れるという。3人の男女のハーネスには、ケーブルなどに掛ける工事用の安全帯と同じ構造の安全装置が装着されている。本格的なクライミングでは無さそうだ。

ロウズ・ピークから約2時間で、山小屋のラバン・ラタ・レストハウスに到着する。到着した途端、頭痛が始まった。今頃高山病かと思ったが、震えながら水行のシャワーを浴びてから、ビールを飲んだら収まった。小屋の中は我々以外に登山者はおらず、コースランチ風の昼食を食べると、やることが無いので昼寝となった。


11/18 下山日。朝食時に山小屋のベランダで、何気なくパナール・ラバンの大岩壁を眺めていると、岩壁の上部に人が見える。単眼鏡でのぞくと10人くらいが岩壁を下り始めようとしている。ヴィア・フェラータのルートである。岩壁を詳細に見ると、大きく「く」の字形のルートが付けられていて、固定ロープ、梯子、吊橋等が設置されているのが分かった。岩壁のてっぺんが、富士山と同じ標高3776mだから、この山小屋との標高差は約500mである。

8時20分、ガスが漂い始めた中、2日間泊まったラバン・ラタ・レストハウスを後にした。半ばまで下りてくると、山小屋に荷揚げをする人や、新たな登山者とすれ違うようになる。マレー語で「おはよう」は「サラマッ・パギ」、「こんにちは」は「サラマッ・ティンガハリ」、「ありがとう」は「テリマカシー」と言う。マレーシア人と思しき人には、マレー語で挨拶すると、にっこりと笑って返してくれた。
「テリマカシー」は帰りのマレーシア航空の客室乗務員にも好感を得た。約4時間で、ティムポホン登山ゲートに到着した。登山ゲートの展望台にいる、マレーシア人の家族連れから「コングラチュレーション」と声をかけられた。

公園本部に着くと、ファビアン氏がニコニコと出迎えてくれた。登山が終わった後は、コタキナバルのホテルに戻り、温かいシャワーを浴びサッパリとしてから、ファビアン氏の案内で、夜は水上レストランでのディナーとなる。


11/19 今日もファビアン氏の案内で、ボートでマングローブ林や水上村などを見てから、自由行動となり、ホテル近くのショッピングセンターで買物と食事を済ませる。夕方、コタキナバル国際空港から、国内線でクアラルンプールに向かい、飛行機を成田行きに乗換える。成田には20日の朝7時に着いた。

初めての海外登山は楽しかった。天気に恵まれて登山も良かったが、現地の人と会話が出来れば、より楽しいものになっただろう。簡単な英会話が出来るようになりたいと思う。キナバルには、もう一度行ってみたい。今度行く時は、もちろんヴィア・フェラータを登るためである。