2014/10/19 「会山行」 御前ヶ遊窟

    メンバー : (L) OSe・ノリ・ON

    六日町IC 4:30--小出IC--長岡北バス亭--津川IC--阿賀町棒目貴集落--
    登山口駐車場 7:10・・・・シジミ沢出合 8:30~8:40・・・・御前ヶ遊窟山頂 10:00~10:30・・・・
    ソウケイ新道・・・・登山口駐車場 12:35--七福荘入浴--六日町IC 16:00


御前ヶ遊窟という不思議な山名を耳にした。
三省堂の日本山名事典には御前ヶ岳、御前峰、御前山などが載っているが、御前ヶ遊窟という山名は見当たらない。
今回、登った御前ヶ遊窟は、津川町、鹿瀬町、上川村、三川村が合併した阿賀町にあり、標高は846mの低山であるが、雪崩に磨かれたスラブが広がる。
みちぐさの総会で、会長が御前ヶ遊窟の名前を出したので、筆者は前々から行ってみようと、いろいろと調べていた事もあり、口を挟んだら、会山行として担当を言いつけられてしまった。口は何とやらであった。

御前ヶ遊窟は、平安時代中期の余五将軍平維茂(たいらのこれもち)の夫人が岩窟に隠れ住んだという伝説があり、旧三川村には維茂が建立したといわれる平等寺がある。
長野県上田市に将軍塚と呼ばれる平維茂の墓があって、その昔、越後と信州に勢力を張っていたらしい。
御前ヶ遊窟は、御神楽岳の東8kmにあって、南西には500mほど離れて井戸小屋山がある。
新潟県地質図によれば、火山岩・礫岩・砂岩等が分布する津川層と、凝灰岩、暗灰色泥岩が分布する七谷層との境界付近にあり、地形の浸食が激しく急峻な渓谷となっている事から、七谷層が卓越する凝灰岩の山らしい。

今回の山行は、会長、ノリさんと筆者の3人である。それぞれ高速道路のインターとバス停で待合せをして、磐越道の津川インターで降りて、柴倉川沿いを棒目貴まで行く。

登山口は、舗装道路から左の林道に入って、300mほど行ったところにあった。 狭い駐車場に車が2台停まっていた。

仕度を整え柴倉川の右支川である鍬沢に下り、右岸の鬱蒼とした林の中を歩く。
朝日に照らされて左岸の急峻な岩壁が輝きを強める。紅葉も見ごろ迎えている。

入渓点であるシジミ沢出合に1時間半位で到着。
木々の奥に妙義山を彷彿させる岩峰が、青空をバックにニョキニョキと立っている。

シジミ沢の下部は薮に覆われてぬめっているが、藪を抜けると目の前に乾いたスラブが広がる。

沢の右側に所どころロープを張ってある。我々は気の向くままに中央を登る。

岩の表面は風化が進みザラザラとしていて、アクアステルスの沢靴はフリクションが効いて登りやすい。

沢の右側上部にヘルメットを付けた登山者が2人登っている。

我々は、当初、斜面の左側を登っていたが、上部はかなり傾斜がきつくなり、ホールドの少ないスラブ(雪崩で磨かれたか)が広がるので、薮をトラバースして右の方へ転ずる。

藪を抜けると一段と急峻となるが、ホールドが多いので面倒でない。
ノリさんが斜面左側の垂直のガリーに挑んだが諦めた。

沢の上部は奇岩の岩峰に囲まれた壮大なスラブが広がっていた。
フリクションが効くから登路は好きなよう選べるが、もしも、滑ったら止まらないだろうなという思いが頭をよぎる。

スラブを過ぎると薮が始まり、藪の中の踏み跡をたどると大きな洞窟が現れた。 洞窟は二つあり、大きい方の洞窟には、石を積上げて神様を祀っている。

この洞窟が、維茂夫人が住んだという御前ヶ遊窟であるらしい。
しかし、急峻で水も無く暮らすにはすごく大変な場所に住んだという伝説が、なぜ生まれたのか不思議な気がする。

御前ヶ遊窟の山頂は、この洞窟の頭上にある。

洞窟の左に進路をとり、上部のスラブを経て稜線に達したら踏み跡を右に進む。

山頂へ着くと鋲付の地下足袋を履いた年配の登山者が2人いた。 いずれも県内の人だという。

山頂は狭く周囲が切れ落ちている。
落ちれば当然命は無い。ここで周囲の山なみを眺めながら昼食とする。
シジミ沢の出合から山頂まで1時間20分であった。

山頂に30分ほどいて下山にかかる。
洞窟まで下りて尾根道のソウケイ新道に向かう。
尾根道は痩せ尾根で、ところどころ鎖が付いており油断が出来ない。
鍬沢の河床に降りてようやくほっとした。

車に荷物を積み込んで、七福荘で汗を流して帰路についた。
御前ヶ遊窟は、天気の良い時に、また登ってみたいと思う山であった。 ・・・・ OSe(記)
御前ヶ遊窟・・・微妙なイメージのその場所に惹かれた。
登山口から延々と山道を進む。シジミ沢の出合で一服。

ここからスラブ帯の登りが山頂付近まで続く。ふくらはぎが伸びっぱなしで、ザ・スラブ歩きという感じ。
スラブも終盤にさしかかる頃、待望の御前ヶ遊窟が現れた。

中は横に広く、天井も高い。わたしの部屋より広いんじゃない?壁には燭台らしきものもしつらえてある。
なぜかお供え物も。 しかも食器のようなものまで。
(これは後世の現代人のものだろうが)
しかし、ここまでかの御前様が登ってきたとは到底信じられない。

まあ、私も来たくらいだから来れないことはないだろうが、どうして? 世の中には凡人では考えられないようなことが起こるのかもしれない。
歴史ロマンに思いを馳せるには充分すぎるシチュエーション!

遊窟から左へ回り込みすぐ上の尾根に出る。右手に見える山頂はすぐそこだ。 パンパンのふくらはぎを頼りに山頂まで。
ところどころ紅葉がスラブに映えて素晴らしい。この時期が一番いいのかもしれない。

下山のソウケイ新道は尾根までが複雑なルートだが、尾根は潔くスパッと落ちていて尾根の気持ちがよくわかるルートだった。
ほぼ半日仕事で下山し、通り道のナントカノ湯に浸かって帰路に着いた。 ・・・・ ノリ(記)