2015/6/28-7/3 還暦記念の南アルプス
        光岳~茶臼岳~聖岳~赤石岳

     メンバー : TH(単独)

     6月28日 雨後晴 / 自宅~飯田IC~易老渡
       29日 曇 / 易老渡~易老岳~光岳~易老岳~茶臼岳~茶臼小屋
       30日 晴後曇 / 茶臼小屋~上河内岳~聖平~聖岳~兎岳~百間洞山の家
     7月 1日 暴風雨 / 百間洞山の家~百間平~馬ノ背~赤石岳(山頂避難小屋)
        2日 曇 / 赤石岳~東尾根(大倉尾根)~椹島~聖岳登山口~聖平小屋
        3日 雨 / 聖平小屋~薊畑~西沢渡~易老渡~飯田IC~自宅


※ 茶臼小屋、聖岳、兎岳、赤石岳では、携帯メールの通信が可能でした。

還暦の誕生日を迎えて盆を終えた今も、靴ずれで骨までえぐられそうだった踵には、南アルプスの後遺症がはっきりと残っている。初心忘るべからず。「靴は自分の足によく合うものがいい」という初歩の教訓を噛みしめながらこの文章を綴っている。

【憧れの南アルプス南部】
山に関心を抱いてから46年。1週間も入山することなどは夢物語だったし、遠くて行きにくい南アは憧れだった。年齢的なことも考えて、還暦記念として決行したものである。南アにはただ一度、3月の甲斐駒と千丈に行った経験のみだった。
今は、「やはり野に置け、レンゲソウ」~憧れは憧れのママが良かったのか~という常の感慨をいだいている。山も、女性も、仕事も、そして人生も・・・。

アルプスと名の付く山に行きたい気持ちはもう無い、今は。岩場はともかくも、ガレ場やザラ(レ)場は好きになれない。潤いの無い山よりも、藪があってもしっとりとした山の方が好みに合う。他所に行って初めて、故郷の良さを見出す気持ちに似ていなくもない。若い娘への心移りと古女房との関係も同じなのだろうか?

【カルチャーショックと己への呪詛】
茶臼岳と赤石山頂の小屋では、ただ一人の同宿が若者だった。彼らの装備や食料に大きなカルチャーショックを感じた。最新の装備は、何とコンパクトで軽くて便利なのか! 乾燥食品の品質は何と向上していることか!

だが、スマホとタブレット端末も持参とは・・・。便利で強力な武器でもあろうが、違和感も禁じ得ない。「南アルプス南部の山で、それでイイノ?」という感じだ。

実は、私も最新装備を持参していた。この山に備えた、初めて使う秘密兵器の水筒(プラティパス)である。(かつてマヨネーズの空き容器を持参したことがあるが、移り香が酷くて使えなかった。)悲しいことにこの新品の水筒は、ザックの中で水漏れを起こしていたのである。

大腸がん検診に用いる下剤の容器が活躍して事なきを得たが、泣きそうだった。しかし、20代の若者が、重荷(一人は女性で25㌔、一人は男性で30㌔)で1週間近い単独行をする姿には嬉しくもなった。荷を軽くすることには、一種の罪悪感を感じる。

「昔は、テントもザックも食糧も今よりずっと重かった。冬山なんかは、担荷力が無くては入山資格がなかったはずだ。」という思いが強い。こんな知識を忘れれば楽なのだろうが、そうもいかない。

初日のみは、数人の登山者(ほとんどは、光岳の日帰り)に会ったが、皆に同じことを言われた。荷物は30㌔前後だったと思うが、まず「スゴイ荷物ですねえ。」そして、変色したザックと農作業のときと同じ服装を見てか、「かなり長く山をやってるんですね」・・・と。

ともかく、印象に残っているのは、足が痛かったことと荷が重かったことだ。「人の少ない時期に、小屋の営業前に」というのが至上命題だったから、天幕・食糧持参で重くなるのはやむを得ないことだった。期待通り、ほとんど人に遭わなかったのは最高である。

でも、やはり後悔もあった。登りに喘いだ時や多くの倒木の下を潜るときには、荷を大きくした自分を強く呪い、激しく罵った。腐るものなら捨ててしまいたかったのが、本音である。

【入山を考える方のために】
以上の感想のみでは参考にはならないと思うので、少しメモを付言する。

飯田市からの易老渡口をアプローチにしたが、晴雨に関わらず落石の巣のようで、2度と近づきたくない。長年の山で最も怖い思いをした。
帰りは降雨の中で、3か所で落石のために一時停止。新たな落石を恐れながら、道路を塞ぐ石と大木を必死に動かして下山した。西沢渡から車までは、落石の頻度の高い場所を走りながら通過した(結局、ほとんど走っていた)。

いずれの小屋も営業前だったので、光岳のピークハントの面々と別れると、ほとんど誰にも会わなかった。その後は、茶臼岳の近くでトレイルランの者1人、茶臼小屋で若き女性1人、聖岳で2人、赤石山頂小屋で1人、椹島の下山口近くで小屋の関係者と思しき家族3人のみ。従って、歩いているときには、ほぼ誰にも会わなかったことになる。

聖岳への長野県側のアプローチ:西沢の渡渉は、モダンな籠渡しである。が、過ぎたるは及ばざるがごとし。あまりに頑丈な作りで、自重も大きく、腕力の無い者の単独行などには非常につらい。
休み休みで10分前後を要して渡ったが、沢の中央(つまりロープが最も下がる場所)から対岸に向かっての緩い登りでは、泣きながらロープを手繰り、腕がパンパンになった。単独行の女性などでは、往生する者が必ず居ると考える。

百間洞山の家から赤石岳に向かう際に、稜線から小渋川への旧道に踏み込んで時間と体力を無駄にした。「廃道」とのことであるが、慣れた者ならば、有る程度の道跡を拾えるのではないかと思った。

百間平から赤石山頂までは、暴風雨の中だった。地形が風這い状態となっている山頂近くの2か所では、飛ばされそうになった。
岩につかまって這うようにして進み、風が弱まった瞬間に次の岩まで走って、その岩に抱きつくことを繰り返して通過した。午前9時前だったが、山頂避難小屋に逃げ込んで停滞。風雨は、次の日の朝まで続いた。山頂ゆえにこの小屋は風当たりが良く、強風時には近くのトイレ棟に行くのにも、ロープが必要かもしれない。

赤石山頂から椹島に下山したのが10時で、そこから聖平まで登り返して峠を越え、車を置いた易老渡を目指した。
聖岳登山のメインコースであるらしいが、崩れやすい斜面や崩壊地のトラバースが何箇所もあって、自分の感覚では「一般コースでいいのか? ちょっとしたバリエーションルートでは?」というものだった。少なくとも、誰にでも薦められる道とは思えない。
同じことは、赤石岳の東尾根(大倉尾根)でも感じた。稜線から赤石沢の北沢源頭部を横切って富士見平に至るまでの道は、「ちょっとしたバリエーション」という感覚だった。

特に今回は雪渓が2か所に残り、丸腰の自分は非常に緊張して通過した。赤石山頂で一緒に停滞していた若人は、アイゼンを着けていたが、そうとうに難儀をし、ずっと後ろに離れてしまっていた。
※シーズン前に整備すれば危険性は多少低下しようが、山体自体が崩れやすいことに変わりはない。そもそもこの付近一帯が、地質的にも大崩壊地であるのだから。