2015/9/20-23 後立山縦走 鹿島槍ヶ岳~白馬岳

      メンバー : MS、AS(白馬岳まで)


 柏原新道~八方尾根

今回の縦走は電車やバスで行きやすい、五竜あたりと決めた。
また会報の件で若手ASさんと連絡していた際にこの計画を話したところ、ASさんはゆっくり歩きたいということで共に行くことになった。(実際は途中合流&解散)この間、大変愉快であったが時に屈辱的な気分も味わうこととなった。

9月19日(東京~扇沢)
夜勤明けで寝ずに準備をし、午前中に自宅を出発。夕方には扇沢に着いた。
扇沢にはテン場がないため無料駐車場の隅にテントを張った。野営に近い形だったので寂しく感じたが、疲れていたのですぐ寝た。

9月20日(扇沢~冷池)
5時に出発する予定が、5時に起きてしまう。準備をし、6時40分に出発した。天気は良好。
種池山荘には9時15分頃到着し、その辺りで雲海が見えた。
広島出身の私は雲海を見ることはほぼなかったので、今でもテンションがあがる。

30分ほど休憩し、そのまま爺ヶ岳を越え、冷池には11時10分頃到着した。
テントを張り、Aさんを待つ。最終的にテントは斜めの場所に張ることとなった。

14時前にテント場にAさんが現れいろいろな意味でほっとした。そしてクライマー体質になったな、という印象を持った。
世間話や計画を建てた。
当初は五竜から下るつもりだったが、Aさんより元気があれば白馬岳までいってみたいと提案される。この時点では、乗り気だった。
その後、Aさんのテントで夕食をとる。

ラーメンにニンニクチップを入れるという南アルプスであった方から学んだ調理法をAさんの承諾を得た上でやってみた。
案の定ニンニク臭さにAさんが煙たがり始めた、彼女はニンニクをなめていたようだ。

昼間はガスっていたが夕方は少しの間晴れ、ブロッケン現象や滝雲が見えた。

9月21日(冷池~五竜)
朝、予想以上に寒くて起きれかった。後にAさんにシュラフカバー買えと言われた。
そんなこんなで4時半頃出発という予定が、5時15分出発に。申し訳ないことをした。しかもAさんに終始先を歩いてもらった。

鹿島槍までは晴れており気分よく歩けた。しかし暑くなると思い、薄着で歩いていたら一向に気温が上がらなかったため、体力を消耗した。
7時前に鹿島槍に到着。その後は段差が大きい私の苦手なタイプの下りが続いたためAさんに時々離されたり追いついたりしながら進んだ。
また私は落石をすることが多かったため何度も注意される。足元をしっかり見られてないか、足が上がっていないことが原因ではないかと思っている。

どのあたりからか忘れたがこの日は途中からずっとガスっていた。キレット小屋で少し休憩をし、五竜に向かい進む。
このあたりからいきなり足やおしりの筋肉に疲れがたまりだした。

12時10分頃五竜岳山頂につき、写真を撮った。(ガスっているのにサングラスをつけているのは紫外線対策なのだろうか・・・)
その後五竜岳山荘のテン場を目指す。

途中もたもたしていると、Aさんに「これはM君の花嫁(花婿)修業だね。あんまり山に慣れてない女の子を連れてきてキャーといったところを助けるための。「フフフ」と嘲笑しながら言われた。「屈辱」の一言が口からでた。

13時頃五竜のテン場に到着。大変混んでおり、斜めの状態で張ることになった。またこの時点で異常に疲れており、不帰ノ嶮を越えて白馬まで行く気力、自信はなかった。

次の日からの予定変更点をAさんにメールで送ってもらい、疲れていた私は寝た。

9月22日(五竜~唐松~八方)
朝なんとか出発予定時間に間に合った。私はもう帰る気満々であった。自分の技量や体力から不帰ノ嶮は厳しいと感じたからだ。しかし、Aさんにそれを告げたら元気になった。
一方Aさんは熱であまり寝られなかったといっていたが、とりあえず唐松岳に行くまでに帰るかどうか判断するとのことだった。

5時半頃出発し日の出の瞬間をいいところで見たいという話をしながら進む。
東側の空が見えないところで、しょうもない話をすると「そんなこといいから早く、日の出が見えるところいきましょう!」と半ギレされたので、謝りつつ一人スタスタ日が見えるところまであがった。

見えるところにあがった時は日が出てなかったが、5秒後に日の出る瞬間が見えた。
そのさらに5秒後にAさんが登ってきたが、間違ってもその瞬間が見えたとは言えなかった。

それからは唐松岳まで進んだ。唐松岳の小屋手前で「M君は根性が足りないですね。根性の意味(意図)は下りながら考えてください。」というようなことを言われた。屈辱的でもあり納得する部分もあった(最近妥協癖がついているので)。

その後は小屋で休憩後、私は荷物を置き、Aさんとともに唐松岳を登った。不帰ノ嶮を見ると意外といけそうだなと思ったが何を言われるかわからなかったので口には出さなかった。

唐松岳頂上につきAさんは行ってきますというと振り返ることなく不帰ノ嶮へ向かっていった。
私はその背中が見えなくなるまで見守る、ということはせず八方尾根へと下った。
3日間の屈辱を噛み締め、根性とは何か考えながら。

今回の縦走はすばらしい景色が見られて満足でした。
ただ秋冬用のシュラフなど新しい装備をそろえなければならないと思いました。
またAさんには大変お世話になりました、複数人で山に登ったのは久しぶりでしたが、話し相手がいることは良いものだと思いました。

そんなこんなで有意義なシルバーウィークとなりました。
次のシルバーウィークは11年後、有意義な休日となることを願います。 ・・・・・ MS

 柏原新道~白馬大雪渓

今年の夏に行きたかった爺ヶ岳と鹿島槍。
夏の暑さが苦手な私は、予定を先延ばしにしていました。連休が近づいてくるにつれて、心と体がそわそわ。
たまたまM君からメールが来て、連休の予定を聞くと爺と鹿島に行くと聞きました。これは行くしかないと前日決定。上で会う約束をして、出発しました。

9月20日
帰りの手段を考えて、五竜のテレキャビンに駐車して扇沢に向かいました。
登山口は8時出発。柏原新道は良く整備されていて、びっくりするくらい歩きやすかったです。今年の紅葉は例年より一週間ほど早く、上部ではかなり色づいていました。これは思いがけないプレゼントだと感動しました。

種池山荘ではピザが販売され(次回食べたいです!)、多くの人が休憩していました。とても人が多く、テント場が無いかもと不安になりました。

思った通りテントサイトにはびっしりとテントが張られていました。もう斜面に張るしかないと肩を落としていたところにMくんが登場しました。周りの重圧に耐えながら(?)、場所をとっておいてくれたようで。ありがたい。

テント設営後も後から後から続々と人が増えて、15時くらいには歩くスペースがないくらいにテントが張られました。

夕方は雲海や夕焼けに染まる立山連峰を眺め、素敵なひとときを過ごしました。

9月21日
朝焼けを見ながらの出発。剱岳には鹿島槍の山影が映っていました。
私は朝から体調が悪く、稜線上では風の寒さに震えていました。Mくんも寒そうにしていたので、このときはそんなに心配はしていませんでした。ただ一日目から鼻水が出るのが気になっていました。

五竜山荘に着くとまたテント場が一杯になっていました。山荘の人の管理も適当で(満杯なのでしょうがないのですが)仕方がなく、テントとテントの隙間に張りました。
でも、もう少し到着が遅ければ、小屋前に張る許可を貰えたようです。残念。景色やら何やらで運を使い果たしてしまったようです。
体調の方はどんどんと悪くなっていく一方。鼻水が止まらず、暖かいドリンクを飲んで、早めに就寝しました。
この夜は寝ても一時間おきに起きるという、しんどい一夜を過ごしました。

9月22日
2時に起きましたが、鼻水がいっこうに止まりません。ここで風邪だと判断して、市販薬を投入。
体調は悪いままですが、天気が良好なのでこのまま先へ進みました。

唐松頂上小屋に着くころには体調も大分良くなり、白馬に行くことを決定しました。Mくんとは唐松岳でお別れし、不帰へ向かいました。この日も終日天気がよく、白馬も雲がかかることなく素晴らしい眺めでした。

白馬頂上宿舎に着くとテントサイトは広々と空いていました。スタッフの方に聞くと、昨日は大変混雑したとのこと。どこも一緒だったようです。

テントサイトに着いてからは周囲を散歩したり、白馬岳まで遊びに行ったりして、剱岳や杓子岳など周囲の山並みを思う存分楽しみました。

9月24日
星空を眺めて、早朝に出発しました。
初の大雪渓。どんなものかよく調べもせずに利用してしまいました。これは反省です。早朝出たせいで、雪上ががちがちに凍っていました。滑る雪上をゆっくり安全に(?)恐々下りました。

~全体を通して~
久々にテントを担いで長く歩きました。途中風邪を引いてしまいましたが、次回の山行案が色々と浮かぶ良い山行でした。
Mくん、ありがとうございました。 懲りずにまたどこかに行きましょう! ・・・・・ AS