2015/10/3 三本槍岳

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   史跡に心弾み 頂の混雑に辟易

快晴の三本槍岳に登ったが、印象はパッとしない。紅葉は美しかった。が、山頂に人が多すぎた。
大半は表側の栃木県からの登山者だったが、「有名な山を手軽に味わえるハイキング」との狙いの面々が多いように感じた。
自分で登っていながら、臆面もなく混雑を嫌う。勝手なものである。

山頂の皆さんは、深田久弥が「人の居る山はごめんだ。いつも、避衆登山を狙っている」とか「他人の評判だけで山を選ぶのは駄目。人真似で登る山など評価は低い」などと繰り返し書いていることを知っているのだろうか?

私はと言えば、自分の力をも顧みず、「少し簡単に登れすぎてしまう」という不遜で贅沢な文句も心にあった。だから、「馬っ鹿じゃないの!」と家人に罵られながらも大きいザックを背負い、4ℓの焼酎の空き瓶に水を満たして登ったりするのである。
疲れたほうが充実感も大きいし、何日も山の余韻を味わっていることができる。

百名山と書いてある山頂の標識前で写真を撮る人が多かった。
他人の邪魔にならない場所に腰を下ろしたはずだったが、そばに標柱が在ったのが不幸の始まり。
「シャッター押していただけませんか?」とくる。もちろん、善人の私は断らない。「せめて若い女性ならば・・・」などとは決して考えない。ニコヤカに最高の構図を探してシャッターを切る。

そのうち、珍しくも若い女性のパーティーがやってきた。彼女らは、着くと同時に標柱前での記念撮影にとりかかった。
カメラマン役の一人が言った。「写真撮りたいんだけどぉ・・・、ちょっと・・・」私には、「そこのみすぼらしい格好のおじ(い)さんが写ってしまうから・・・」という心の声が、明瞭に聞き取れた。

こんな山頂は早々に後にして、ゆっくりと景色を楽しみながら下ることにした。これは賢明な選択だ。
人混みの山は、人の多い場所では休まずに、少しずらして休むのが賢い楽しみ方だ。

三本槍岳という名前の由来でも分かるように、歴史の山である。三斗小屋温泉と結ぶ峠道の下りは、心充たされる思いがした。

峠に置かれた石仏のほとんどは、顔貌も定かでないほどに風化していた。
紅葉の中で、昔の街道を往き来した人々に思いを馳せるのは楽しい。かつての武士は、商人は、どんな思いでこの道を歩いたのか・・・。

時折は、魚沼では見られない関東の植物を目にすることもできた。

恥ずかしい話を書く。
田島近くの川沿いで、土砂に埋まった田んぼがあってびっくりした。すぐに、驚いた自分が恥ずかしくなった。

当たり前ではないか。常総市が被災したとき、尾瀬~会津方面にも帯状の降雨帯があったし、阿賀野川でも溢水があったではないか・・・。

地図が頭に浮かばなかったことと、想像が及ばなかった馬鹿さかげんにあきれた。このことも、美しい紅葉の一日であったのに、この山の印象がいまひとつの原因かもしれない。

ともかく、車を降りてから2時間ほどで山頂に着くような山は、どうも山らしくなくて物足りない。と言って、他車のホコリを浴びながら、車道を歩くのも面白くないし・・・。