2016/5/1-2 白馬岳 主稜

      メンバー : IM

約1年半仕事が厳しく、あまり山に行けない状況でした。残業時間は凄まじく、加えて今シーズンは小雪で助かったが、前シーズンは、徹夜明けでも夜9時まで仕事して、家に帰って夜11時にヘッドランプつけて雪下ろし、たまに休めても家の周りに溜まった雪を捨てるのに早朝から夕方まで作業でクタクタになる。

この時はどんどん痩せたが、春になると反動で夜11時に馬鹿食いしてしまい、一挙に体重が増えて「貯金も増えたが体重も増えた」状態で、これはヤバイと思い1~3月頃、手近な里山を歩いたが息があがり、ヘロヘロ、足はピキピキ吊って敗退の繰り返しとなり、どうにもならない状態。

4月から走り込みを始めて、5月のGWに向けて基礎体力の向上を行いつつ、GWにどこに行くか考えていたのが「白馬岳主稜」である。
白馬尻でテント泊の予定だったが、出発が遅く猿倉の駐車場でテントを張り明日に備える。

駐車場に雪は全く無い、以前GWに来た時は雪が在ったが、新潟同様長野も雪が少なかった様である。

テントを張った後、白馬尻まで偵察に行く。白馬尻の手前まで林道には雪は無い、白馬尻は諸所に藪が出て沢も出ている。そして、白馬尻から主稜への取付きも愕然とするぐらい雪が少なく諸所に藪が出ていてかなりげんなり、明日は3時にテントを畳んで出発する事にする。

翌日は2時30頃に起床、朝食を食べテントを畳み3時を少し過ぎたところで猿倉を出発する。4時頃白馬尻に着き、空が少し明るくなってきた、手前の沢は昨日偵察の際、安全に渡れる雪の箇所は確認しておいたので問題なく渡る。

そこからは雪と藪が交互する斜面を登るが、アイゼンをしたまま藪を抜けるのにかなり労力を使う。

稜線に出るころには明るくなり、天気も快晴。藪が一部出ているところもあるが最初の斜面よりかなり歩きやすくなる。

いくつかピークを越えたところから、足が脛の辺りまでもぐる様になる。昨日、一昨日までに雪が積もったらしく、急斜面でのラッセルでかなり疲れてくる、まだ力が戻りきらないようだ。

ある程度ラッセルしたところでヘロヘロになり、休んで次のパーティーが来るのを待つことにする。

しばらくするとパーティーが来てラッセルしてもらう。もうラッセルする気力が無いので、さらに他のパーティーに抜いてもらう。

再びゆっくり登り始め、10時30頃山頂手前のコルにたどり着く。既に先行パーティーが取り付き始めている。初めはまっすぐに登り、頂上の雪庇で右にトラバースして、雪庇が切れているところを抜けている。そこに、関西弁の3人パーティーが登って来てにぎやかに話している。

そのうち3パーティー目が登り始めるが、トップが途中スコップを落とし、谷底にスコップが落ちていった。
その後、トップの人は無事行き、壁を抜けるがセカンドの人がどうも心もとない。右へのトラバースで何度もアイゼンを蹴り込んで、なかなか進まない。

そして、雪庇を抜けようとした所でスコっと落ちる。ロープで確保されているので無事だけど、イヤなもの見ちゃったな~。隣の関西弁の3人パーティー「お! ロープで確保してなかったら、あいつ死んでたで」とわいわい話している。

無事にセカンドの人は頂上に出たので、4パーティー目が取り付く。4パーティー目のトップの人は無事頂上に抜けるが、セカンドの人が雪庇を抜けようとした所でスコっと落ちる。隣の関西弁の3人パーティー「お! また落ちたで」とわいわい話している。

5パーティー目の6人が準備しているのを見ていると、リーダーの方から、「時間が掛かるので先に言って下さい」と言っていただく、礼を言い先に登らしてもらう事にする。

私は1人なのでロープとスノーバーは持ってきているが、使用せずそのまま登ることにする。縦走用の60cmのピッケルと40cmのアイスバイルを持って登ろうとした時、関西弁の3人パーティーのリーダーが「おい!お前ら写真撮る準備しておけ」と、他の2人に言っているのが聞こえる。それって、滑落する瞬間を撮るって意味?

登り始めて直に気付いたのは、雪が粗目で柔らかく、ピッケルのシャフトが半分程度しか入らない。今年は雪が少なかったのでこうなのか。幸い短いアイスバイルがあり、根元まで刺さるのでほっとする。

柔らかい斜面もよく見ると締まった所があるので、そこを狙って登って雪庇にたどり着くと、右にトラバースを始める。
雪は浅い箇所がいくつかあり、蹴り込むとアイゼンの先が岩にあたる。注意しながらトラバースして雪庇が切れた箇所に辿り着く。

雪庇が切れた箇所は手前が少し開いていて、下はコルから外れ、谷底が見えるのでちょっと怖い。幸い雪庇は厚く雪は硬く締まっているので、腕を伸ばしピック叩き込みアイゼンを蹴りこみ雪庇を抜ける。

11時40山頂に到着。多少風が吹いているが、快晴で眺めはすばらしい。その後は大雪渓を下り13時30頃、猿倉に戻った。