2021/5/4~5  憧憬 マキグラノツルネ

     メンバー:(L)AN、NY

        天気:4日快晴、5日小雨と山頂からはみぞれ混じりの強風

     コースタイム:
   5/4 荒山集落車止め発4:15--センノ沢小屋4:50--尾根取付き5:25--
      644P 6:30--1050P 8:30--1538P 15:00--BP 15:30(泊)

  5/5 BP発4:20--1588P 4:50--1923P 9:25--駒ヶ岳山頂9:50--
      グシガハナ下山--十二平着13:45--センノ沢小屋15:20--
      荒沢集落車止め着16:10


1日目
朝センノ沢小屋付近からマキグラノツルネ
オツルミズの巻道
サナギの滝が良く見える
さあ藪の始まりだ
シャクナゲの向こうに郡界尾根
1538p手前のピークに向かう
次は1538p
今日は稜線上の雪渓のあたりでビバーク
BP。後ろは明日行く尾根
町が良く見える




2日目
1588pはアイゼンを着けて
途中から今日目指す1923Pを見る
いよいよ最後の1923p
着きました。藪ももうありません
会いたかった猿田彦さん
真沢方面
疲れが癒されます
十二平からの林道は雪渓で覆われている





(記:AN)
なぜ心の中にこんなにもマキグラノツルネが住み着いてしまったのか自分でも不思議だ。
多分、みちぐさの先輩諸氏から聞かされた話や記録の中に自分にとっての魔法のキーワードが
ちりばめられていたんだと思う。
今回、心強い同行者を得た。NYさんは終始藪の先頭に立って果敢に前へ進んでくれた。

5日は天気が崩れるので4日に少しでも先に進んでおきたいという願いは歩き始めて2時間で打ち砕かれた。
オツルミズの巻道からとりつき、644Pを経て900m位までは登山道がある。ペナントも数か所。
よくこんな所を整備してくれたなあ、オツルミズの救助のためかなあと話しながら、
左のオツルミズ右の八海山の景色を心に刻む。いよいよ「この思いがしたかった」
水無の超一級クラスの藪漕ぎの始まりだ。身体のすべてのポイントに藪が絡みつく。

特にシャクナゲと松の横に張った枝は通してくれない。う~、はっ、こんにゃろめ、と声を出し、
藪に乗ったりくぐったり引っ掻かれたり打ち付けたりしながら前に進む。
行く先は明瞭だが前につづくルートは全くの未知の世界だ。高度が上がると、昨日降った雪が現れ、
これがまた滑る。やっとの思いで1538Pにたどり着き、そこから鞍部におりるが痩せているため藪で地面が見えない。
たしか、ここに古い捨て縄がかかっていたが、使うことなく藪に助けてもらいながら慎重に鞍部に下りた。
そこから少々登ったところを今夜の宿に決める。
昨日の雪がうっすらと積もっている細い稜線だが、笹が生い茂り、雪渓のある極上のBPポイントだ。

かぶって寝る式のツエルトを小枝にくくり付け、今日という日をわずかな酒で心にしみこませる。
ONさんと電話が通じ「家から望遠鏡で見てるんだけどね~。見えないなあ。」とこちらを探してくれている。
明日のルートや天気の話をして、最後にはいつも通り「まあ、なんとかなるべえ」で電話を切った。
風もなく静かな夜だった。ベンチレーターからは星が見えていた。

翌日は5時発の打ち合わせだったが、先が読めない状況と天気の心配もあり早めの出発となった。
強風の予報は得ていたが今はまだそれほどでもなく暖かい。1588Pをアイゼンで登り、
オツルミズ側に着く雪を拾いながら進む。9時過ぎには雨が降り始めた。ちょっと早いんじゃないの~、
新しい雨具着たくないわぁ。1850m付近に直径10センチほどの木を切った跡があった。
NYさんが、昔、駒の小屋の管理人さんからここまで来たしるしに切ったという話を聞いたことがあるという。

もう、藪に関しては無になって粛々と進むしかないという感覚で念願の1923Pに立つ。
行く手にはもはや藪はない。後は緩やかに駒ヶ岳山頂へ登るのみ。
雨はみぞれ混じりとなりいよいよ風も強まってきた。山頂を早々に後にし、
強風によろめきながらグシガハナを下る。

十二平からの林道はしっかりと雪渓に覆われここでも水無の屈強な姿を見せつけられる。
雪渓のトラバースを繰り返し、ちょうどセンノ沢小屋からのマキグラノツルネの全景を目に焼き付けながら、
この2日間を顧みる。こんなときいつも感謝の気持ちが湧き上がる。会報no293にマキグラノツルネの報告を記し、
下からサポートをしてくれたONさん、6月や雪山の時に日帰りで行ってきたと話してくれたTHさんやITさん、
行きたい気持ちに付き合って去年の5月の雨の日に途中まで登ってくれたMTさん、
そして今回同行してくれたNYさんにスペシャルサンクスだ。
又一つ、みちぐさの仲間のおかげで夢が叶った。



    夢見るころを過ぎても(記:NY)

 何年かに一度は魂が目に見える形となって現れてくるような、そんな体験をしてみたい。
山を趣味にしている人なら誰もが考えたことがあるはずだ。だけどそれには、
それにふさわしい時と場所、そして人を得なければなしえない。

マキグラノツルネという水無に打ち込められた楔のような尾根。
みちぐさに蓄積された決して短くはない水無における濃密な時間。そして思いを共有できる素晴らしい仲間。
奇跡と思いたくなるほど三つが揃って今回長年の憧れをたどることができた。

麓に住む水無の番人ONさんの言葉、「水無から見上げるマキグラノツルネは駒ヶ岳そのものである」。
プリミティブな山屋THさんは「マキグラノツルネは極上のヤブを堪能できる」と。
そして偉大なる先達KMさんは言っていた。「俺の行きたい所に道が無いだけ。道があれば道を行くさ」。

こんなこと言われたら奮い立たない訳がない。まったくみちぐさの先輩たちはやってくれますなぁ 。
もっとも、これらは現代の価値観とは対極にあるのかもしれない。
だけど僕らがいつのまにか見失ってしまったものの総和は、あまりにも大きいのではないか。
時代が進むということは一体なにを意味しているのだろうか。

一緒に行ってくれた栃尾又生まれで水無の女傑ANさん、ありがとう。
私一人だったら多分逃げ出してしまったであろう異次元のヤブ地獄、二度と行くことはない(行きたくない)
この世ならぬ領域でした。P1923で「ヤブこぎ終了」と知らぬ間に叫んだあの時、
今思うと口から魂が形となって現れた瞬間だったかもしれないね。
あの狂気と一体となった解放感はこの先味わうことができるだろうか。

そして改めて思ったよ。

   「憧憬は遠いコダマの花火ではない。それが遊びにすぎないとしても」

そうさ、まだまだ、遊びはこれからよ。