2022/11/6   252閉鎖直前の廃道(転石峠)

メンバー:TH

コースタイム:(小出発3:50 小出着16:00)6:30歩き始め  11:40峠頂上部  
        12:00引き返し(昭和村方面の旧道入口が不明)14:00峠の入口帰着 快晴 → 晴れ

いかにも南会津らしい山をさ迷いました。文字通りさ迷いました。
読図を間違えて(重大な、初歩的な)。
旧田島町と昭和村を結ぶ棄てられた峠:駒止湿原に続く山並みの一角です。

道型の明瞭な部分もありましたが、少し慣れた方が「やぶこぎ覚悟」で入山する場所かと思いました。
入口に馬頭尊が並んでいて、かつての重要な峠であることが偲ばれました。



崩れ上流の3段?
峠の頂上付近
見る者ない紅葉
馬頭観音




【記:TH
 10代の頃の「山と渓谷」に、会津の峠の特集があったように記憶する。
紹介されていた多くの峠の中でも「美女峠と吉尾峠」は、深く印象に残った。
当て字だろうと思っても「美女峠」という名前に魅かれない訳にはいかない。
長く心に残り、やっとこの2峠を歩いてみたのは、数十年を経てからだった。
二つとも、誰にも会わない静かな峠道だった。廃れた社、屋敷跡、葦の茂った水田跡などに深い感慨を覚えた。

若き日から、五万図を眺めて「会津と秩父には峠が多いなあ」と思っていた。
かつては、日本中どこでも、平野以外は峠だらけであっただろう。紀行文などを読み
「いつかは歩いてみたい」と思ううちに持ち時間が少なくなってしまった。

 さて、転石峠である。地元民以外で、これを読める者は多くはないだろう。
「コロブシ(コロビシ)峠」と読むらしい。田島町(現南会津町)と昭和村を結び、
2万5千図では針生に入っている。1000mを越える峠は、峠の多い南会津でもかなりの標高になる。
昭和20年代半ばまでは、峠付近に木地師が住む数軒の家があり、麓の木地師集落から峠まで、
日に4回40-50kgの木地椀の荷を担ぎ上げたという・・・この記述は、会津の峠(歴史春秋社)に依っている。

 歩く者とてなく、藪に埋もれた峠を歩くのは晩秋がいい。新緑の頃も素晴らしいが、
希望とエネルギーに溢れる時期だと、哀愁というものを感じにくい。
木々の葉が散り、力ない陽光のなかで、往時を偲びながら独りで歩くのがいい。
登山靴ではなく長靴で、ブランドのシャツではなく作業着で。
若い女性との語らいを楽しみながら歩くべきではない・・・そんな事はありえないけれども、
これは負け惜しみで言うのではない。

峠道は、かなりの部分に道型が明瞭に残っていた。同時に、ほとんどが藪に埋もれつつあった。
好天で、カエデやコナラの紅葉が美しかった。通行する人はなく、見事な紅葉を愛でる者はない。
その紅葉が、廃れゆく道をいっそうもの悲しく染めるようでもあった。
50を過ぎて初めて授かった子が夭折し、一茶は「露の世は 露の世ながら さりながら」の句を詠んだという。
必要により人は道を拓き、いかに遠く険しくても峠を越えた。必要が無くなれば歩く者は絶え、
道は消えていく・・・この理は十分わきまえている。しかし、「さりながら・・・」と思ってしまうのである。
生活のための喜怒哀楽と汗があった往還なのだ。もちろん私は、生活のためにこの峠道を辿ったのではない。
言わば物見遊山だ。だが、「さりながら・・・」と思わざるを得ない。

「滅びるものは、みな美しく哀しい」と、誰かが言ったような気がする。
峠の頂上付近はカラマツの植林があって、明るい感じである。しかし、道は判然としない。
緩やかな頂上部や沢近くでは、道型も探しにくかった。道跡がはっきりしていても、
伸びた木々が行く手を阻む場所は直線状に斜面を上下し、ササの侵入部では方向を定めて泳ぐように進んだ。
道を間違えたせいで、予定の倍も歩いただろう。期せずして、いかにも南会津らしい沢を歩いた。
沢沿いの紅葉は美しく、多くのクマ棚も見た。河原も歩き旧道に転石も多く、
長靴の底に少し痛みも感じながら最後の農道を下った。歩き終える頃、峠の入口に桜の木があって、
その下に大小の馬頭観音(馬頭尊と彫ってある)が、かつての賑わいの名残のように並んでいた。
一群の石が直線に配置され、周囲をコンクリートで整備された様子に、
消えゆく道を誰にも会わずに歩いてきたことが、いっそう印象深く思われた。


※ この峠は、駒止湿原から船ケ鼻山に至る山塊の一角にある。
稜線はだだっ広くて、ほぼ平らな山稜となっている。標高も1000m前後で、アルペン的な山容とは無縁だ。
アプローチも不便で、主稜に道はない。
かつて旺盛に記録を発表していた、市川学園山岳OB会の佐藤勉氏が憧れた山塊だ。
彼の記録を目にしたこともあるが、そのような文章は読んではいけないのだ。
「行ってみたい」という気持ちが湧いてしまう。
「行けないだろうが、せめて・・・」と地図を入手するような事は、さらに良くない。
行くには、時間も体力も金力も必要なのに、心の隅にその山が潜み息づくことになってしまう。

<以下は反省と教訓>
入山場所を間違えた。途中で気づいたが、引き返さずに突破した。ミスの要因は、
ア:地形が類似していた(沢沿いの入山。どちらにも地図に道:点線が記してある。) 
イ:間違えて入った所にも、廃道化した道跡があった。
ウ:何回か地図も広げたが、「道は正しい」と思い込んでいたので、
  地図の部分のみ(沢と点線)しか読まなかった。十分に広げてみれば、間違いに気づいただろう。
エ:誤っての入山に気づいたのは、かなり入り込んでからであった。

ヤブを漕ぎ、沢を歩き、湿原(枯葦の原)を突っ切り、さらに沢を歩き下って廃道化した所期の峠道に出た。
間違えた場所まで引き返さず、このように決断した理由は次の通り。
①自分の位置が判る ②天候が良い ③装備が十分 ④南会津の沢の様子が少し解る ⑤ココヘリ持参
数か所で、クマ用に持参したピッケルにすがって越えた場所があった。落ちても怪我はしなかっただろうが、
冷たい水が満タンの釜に落ちれば、相当のダメージがあったはず。捻挫と転倒に注意しながら沢を歩いた。
なお、ブナとナラの木に10カ所くらいの熊棚があった。
教科書では「不用意に入り込んではいけない場所」と書いてあるようなところ。
いかにも南会津らしい山、沢であった。

今回は、好条件に恵まれて結果オーライだったが、全く褒められたことではない。
装備がほぼ万全で多少の経験があったとはいえ、深く銘すべき日となった。
会津の山では、時折り崩れ(青ナギ?)に出遭うことがある。今回見た大崩れ(地図にも表記あり)は、
50mロープ一本ではどうにもならないモノだった。
50m以上の全くのスラブで、バンドやクラック、ブッシュ等がぜんぜん無い。
その少し上流に、たぶん3段のツルツルの滝があった。大崩れを巻いてから、滝の落口に降りたが、
傾斜が強くて2段目以下を見ることができなかった。おそらくは、ボルト連打以外では登れないし、
懸垂するにしても、1本のロープでは2回以上になるだろう。
沢沿いに歩いて目的の峠越えの道を目指した。この滝の上流で、小さいながら何回かイワナを見た。
大滝の上流なので、奇異な感じがした。山は険しいわけでもなく、
所々に踏み跡らしきものもあったから、地元の人が放したのだろうか?