2014/11/15-20 キナバル山

    - 初めての海外登山 -  マレーシア キナバル山 ロウズ・ピーク (4095m)
                           メンバー : OSe (総勢15名)



キナバル山は、東南アジアの最高峰(諸説あり)であると聞いてはいたが、行けるとは思って無かったから、長い間、東南アジアのどこにあるかは知ろうとしなかった。今回のキナバル登山への参加は、筆者がもう一つ入っている、「山の会若ぶな」の有志が、酒の席で、キナバルに行ってみるかという話になって、酔っ払っていた筆者がオレも行くと口走ったことから始まった。

当初、6月か7月に行くという事であったが、その頃はいろいろと忙しく、参加は難しいかなと思っていたが、稲刈り後の11月に変更となって好都合となり、7月に旅行会社からキナバル山の登山案内が送られてくるようになると、俄然現実味を帯びてきた。送られてきた登山案内で、キナバル山はマレーシアのボルネオ島にある事を初めて知り、だいぶ前に失効していたパスポートを取り直して、気持ちはすっかりその気になった。

みちぐさの忘年会が、マレーシアから帰国直後の11月22日だから、HCのKさんに忘年会の段取りをお任せ(投げて)して、心はキナバルに飛んでいた。キナバル登山は、先に述べた若ぶなの有志を中心にして総勢15名となった。旅行会社の最少催行人員8名を十分満足するので、他者が入らない我々だけのグループとなった。

キナバル山は、日本から約4100km離れた、ボルネオ島北部マレーシア領のサバ州にあり、標高は4095m、北緯6度5分 東経116度33分の位置にある。山頂は花崗岩独特の岩場が広がり、山の麓は世界でも有数の生物多様性に富んだ熱帯雨林のジャングルとなっていて、山域はユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている。


11/15 成田発14時55分のマレーシア航空の直行便で、サバ州の州都コタキナバルに向かう。成田空港で旅行会社のガイドとして、冬は上越国際スキー場でスキー学校の校長をしているという荻野恭宏氏と合流する。夏は岩登り、沢登りに興じ、つい最近マッターホルンを登ってきたという。

機内はほぼ満席で、体の線が露わに出る制服に身を包んだ笑顔の客室乗務員から、ビール、ウィスキーなどを貰って堪能していると、6時間ほどでコタキナバル国際空港に到着した。空港からホテルへ向かうバスに乗るため外に出ると、熱帯のねっとりとした温かい空気に包まれた。バスに横綱白鵬にそっくりの現地ガイド、ファビアン氏が待っていて、流暢な日本語で通貨やホテル等について説明をする。

ファビアン氏は、マレーシアの国教がイスラム教にあって、クリスチャンであるという。車窓の外の夜景に異国にきたという思いを強くする。時差は-1時間である。


11/16 ホテルで朝食をとり、登山に不要の荷物はホテルに預けて、ファビアン氏が同行するバスでキナバル・パーク・ヘッドクォーター公園本部(P・H・Q)に向かう。ここで入山手続きを行い、公園内のシャトルバスに乗換えて、現地の登山ガイド3人とティムポホン登山ゲートに向かう。一緒に来たファビアン氏は、平地でのガイドであり、我々が下山するまで、一旦お別れである。

キナバル山は、全部予約制であり、日本の山小屋のように登山者を詰込むような事は無い。また、一人であろうと必ず登山ガイドをつけなければならない。この3人の登山ガイドは、サンダルもしくは、我々が子供の頃履いたゴムの短靴のような靴を履き、小ぶりのザックに普通の雨傘を差しこんでいる。

キナバルは、日中、1~2時間のスコールが頻繁に降るので、雨具などを着ず、雨傘でやり過ごすらしい。頭に描いていた登山ガイドとは、風貌がほど遠い。荻野ガイドがこの3人にテキパキと何やら指示をするが、何を言っているかさっぱり分からず。

P・H・Qに到着する前、バス休憩所の展望台で、キナバル山を見た。山体に所々ガスがかかり、大きな台形に、いくつもの岩峰が飛び出ていて王冠か薔薇の花を連想し、その迫力に圧倒される。日本の山でいえば、北海道のトムラウシ山に似ていると思った。

キナバル山への登山ルートは2本あり、2本は途中で合流するが、我々はサミットコースと呼ぶルートを登る。ティムポホン登山ゲート(標高1890m)で入山届に各自が署名をして、10時35分出発する。初日は約6時間かけて、ラバンラタ・レストハウス(標高3272m)という山小屋に泊まり、翌朝、山頂を目指す。山頂から下りたら、また、同じ山小屋に泊まる山中2泊3日の行程で、一般的には1泊2日が普通であるから、楽々余裕の山行である。

熱帯雨林の中は、頭上高く木々に覆われて鬱蒼としている。登山ガイドを先頭にゆっくりと赤茶けた登山道を登る。湿度が高いので、ジトッと汗がにじむ。林の中にガスが漂い、雨が当り始める。雨具を着込む人がいるが、筆者は折畳み傘を広げる。熱帯のスコールかと思ったが、雨は小降りで収まった。植物に疎い筆者であるが、ウツボカズラだけは分かり、登山道の脇にひっそりと妖しく獲物を待っている。

30~50分間隔でトイレ付のシェルターと呼ぶ休憩所があり、荷物を降ろすと数匹のリスがエサをねだりに寄ってくる。荻野ガイドから絶対に手を出さないよう注意を受ける。リスに毒があり、噛まれると重大な事になるという。日本人は可愛いと手を出そうとするが、欧米人は足で追っ払うという。

樹高が低くなり、木も疎らになってきたと思ったら、スーッとガスが晴れて大岩壁が目の前に現れた。唐突なのであわててカメラを構えたが、すぐにガスに隠れた。少し行くとガスの中にラバン・ラタ・レストハウスの白い建物が浮び上った。3階建の大きい建物であり、先ほどの大岩壁は、パナール・ラバンの大岩壁と云い、山小屋はその目の前にある。ラバン・ラタ・レストハウスまで登山ゲートから5時間45分であった。途中の7ケ所のシェルターでトータル2時間くらい休んだから、実歩行時間は3時間35分であった。しかし、高山病予防にこれくらいの時間が必要なのだろう。

ラバン・ラタ・レストハウスは、玄関が山側の2階にあり、中に入ると左側にフロントと売店があり、右側がバイキング方式の食堂となっていて、窓の外の眼下に熱帯雨林が広がる。室内は広く清潔感があり、窓側の席には欧米人が陣取っていて、厨房には帽子を被った5~6人のマレーシア人料理人が働いている。日本の山小屋とは少々イメージが違う。電気は発電機では無く、麓から登山道沿いに太いケーブルで引張ってきている。

登山ガイド達は1階に入ったようだ。受付を済ませて3階の泊まる部屋に入ると2段ベッドが並んでいた。ザックを降ろし、さて食堂でビールでも飲むかということになるが、「頭が痛い、少し休んでいる」と高山病の初期症状を訴える人がいた。

体が汗で濡れたので洗面所に行き、シャワーを浴びる事にした。シャワーは温水が出ず、冷水である。水行のごとく震えながらシャワーを浴びるとサッパリとした。因みに山小屋のトイレは水洗である。ただし日本のようなウオッシュレットでは無い。コタキナバルのホテルでもそうだったが、便器のそばにシャワーノ ズルがついている。最初、これで便器にこびりついたウ○○を掃除するのかと思ったが、そうでは無かった。シャワーノズルを手に持って、コ○○○にめがけて噴射するのだ。手に持ったノズルの角度、水圧の調節がけっこう難しく、慣れないと便器をビショビショにしてしまう。これも冷水であるので、まともに当ると冷たさが脳天を突き抜ける。

シャワーを浴びてサッパリしたところで、売店でビールを買う。日本と違い缶ビールは320mLと小さく、これが日本円にして約1000円と高い。高いがタイガービールという銘柄が美味い。5000円単位で両替をするから、調子にのって飲み続けると見る間に金が減る。持参のウィスキーを持ち寄って飲んでいると、夕食の時間となり、料理の前に人が並び始めた。
西洋料理と中華料理が混じりあったようなメニューで、まあまあいけるが、長粒種のインディカ米は単品ではいただけない。これは他の料理と混ぜて食べるものだった。いつの間にか、熱帯雨林が闇に沈もうとしていた。


11/17 登頂日。午前2時頃、部屋の外で早く出発する人達の物音がする。外に出るとヘッドランプの明りが大岩壁の上部に列をなしている。星空が広がり今日の天気は良さそうだ。早立ちの人達は、頂上に登ったら、そのまま下山するらしい。風があり、寒いのにTシャツと短パン姿の白人に驚く。

朝食は早くから食べられ、山小屋を3時50分に出発する。ヘッドランプを点け、荻野ガイドより途中にチェックポイントがあるから、入山許可証を首に下げるよう指示される。山小屋からは急登となるが、木製の階段が設置されていて、スムースに登ることが出来る。森林限界を過ぎると岩場となる。ロープにつかまり登るが、緊張するような場所は無い。2時間ほどでチェックポイントのサヤサヤヒュッテに到着し、入山許可証と名簿の照合が行われる。トイレもここが最後である。

次第に明るくなり、雲海のかなたに御来光が上がる。ここから上部は花崗岩の一枚岩となる。岩の表面は20cm程度に剥がれていて、斜面の傾斜は緩やかであるものの、もしも静かに滑り落ちてきたら怖い事になる。寒いので1枚着ることにした。

頭上に特異な岩峰が聳える。キナバル山は全部で16ものピークがあり、マレーシアがイギリスの植民地であったことから、それぞれに英語名の名前がついている。ドンキーイヤーズ・ピークとかセントジョンズ・ピーク、サウス・ピーク、アグリーシスターズ・ピークなどである。そのうち我々が目指すのは、最高峰のロウズ・ピーク(4095m)である。

キナバルの山名は、マレー語でキナは中国、バルは未亡人で、中国の王子とその未亡人の伝説が由来であるという説と、アキ・ナバル(祖先の霊る山)がなまってキナバルになったという説があり、後者の説が有力であるらしい。

サヤサヤヒュッテから上は、登路に目印のロープが延々と続く。以前はペンキで登路を示していたようであるが、世界遺産となってロープにしたようだ。岩はフリクションが効き、好きな所を歩ける。ガイドに注意を受けないよう、ほどほどに離れて歩くことにする。

登山ガイドが前方を指差して、「ロウズ・ピーク!」と叫ぶ。尖がった頂に、早立ちの登山者達が小さく鈴生りになっているのが見えた。間もなく、続々と下山者達とすれ違うようになる。頂上直下の急登を登り、山小屋より約4時間でロウズ・ピークの狭い頂上に全員が立った。我々の他は誰もいないので、真っ青な青空が頭上に広がる山頂を独占でき、360度の視界には、熱帯雨林とそれぞれにユニークな形状のピークが目に入る。

西に人の指にそっくりなオヤユビ・ピークが斜めに傾いて立っている。人工的に作ったのではないかと思う、斜めに立つピークは、これまでに見た事の無いもので、しかもオヤユビと日本語で意味が通じるのは不思議である。 ロウズ・ピークの北から西にかけて、深い谷となって足元から切れ落ちていて油断ができない。さすがに風が強く寒いが、しばし堪能して下山にかかる。頂上直下で、荻野ガイドから「もっとリアクションを付けて!」との注文を受けて記念写真を撮った。

登頂を達成したので、下山はのんびりとしたものになったが、急速にガスが上昇してくるのが見て取れる。サヤサヤヒュッテを通過し、岩場から離れる頃になるとガスに包まれた。雨っぽいが雨具を出すほどでは無い。樹林の中の階段を下って行くと、右の藪からヘルメットとハーネスを付けた、ガイドと思しき男1人と、女2人の白人の男女が出てきた。

藪の向こうには大岩壁が広がる。荻野ガイドに聞くと、イタリア語で「鉄の道」を意味する「ヴィア・フェラータ」と呼ぶルートがあり、岩肌にケーブルや、梯子、橋などが設置してあり、登山の上級者ルートであるが、ガイドが付いているので初心者が登れるという。3人の男女のハーネスには、ケーブルなどに掛ける工事用の安全帯と同じ構造の安全装置が装着されている。本格的なクライミングでは無さそうだ。

ロウズ・ピークから約2時間で、山小屋のラバン・ラタ・レストハウスに到着する。到着した途端、頭痛が始まった。今頃高山病かと思ったが、震えながら水行のシャワーを浴びてから、ビールを飲んだら収まった。小屋の中は我々以外に登山者はおらず、コースランチ風の昼食を食べると、やることが無いので昼寝となった。


11/18 下山日。朝食時に山小屋のベランダで、何気なくパナール・ラバンの大岩壁を眺めていると、岩壁の上部に人が見える。単眼鏡でのぞくと10人くらいが岩壁を下り始めようとしている。ヴィア・フェラータのルートである。岩壁を詳細に見ると、大きく「く」の字形のルートが付けられていて、固定ロープ、梯子、吊橋等が設置されているのが分かった。岩壁のてっぺんが、富士山と同じ標高3776mだから、この山小屋との標高差は約500mである。

8時20分、ガスが漂い始めた中、2日間泊まったラバン・ラタ・レストハウスを後にした。半ばまで下りてくると、山小屋に荷揚げをする人や、新たな登山者とすれ違うようになる。マレー語で「おはよう」は「サラマッ・パギ」、「こんにちは」は「サラマッ・ティンガハリ」、「ありがとう」は「テリマカシー」と言う。マレーシア人と思しき人には、マレー語で挨拶すると、にっこりと笑って返してくれた。
「テリマカシー」は帰りのマレーシア航空の客室乗務員にも好感を得た。約4時間で、ティムポホン登山ゲートに到着した。登山ゲートの展望台にいる、マレーシア人の家族連れから「コングラチュレーション」と声をかけられた。

公園本部に着くと、ファビアン氏がニコニコと出迎えてくれた。登山が終わった後は、コタキナバルのホテルに戻り、温かいシャワーを浴びサッパリとしてから、ファビアン氏の案内で、夜は水上レストランでのディナーとなる。


11/19 今日もファビアン氏の案内で、ボートでマングローブ林や水上村などを見てから、自由行動となり、ホテル近くのショッピングセンターで買物と食事を済ませる。夕方、コタキナバル国際空港から、国内線でクアラルンプールに向かい、飛行機を成田行きに乗換える。成田には20日の朝7時に着いた。

初めての海外登山は楽しかった。天気に恵まれて登山も良かったが、現地の人と会話が出来れば、より楽しいものになっただろう。簡単な英会話が出来るようになりたいと思う。キナバルには、もう一度行ってみたい。今度行く時は、もちろんヴィア・フェラータを登るためである。

2014/10/19-20 平ヶ岳 快晴フルムーン山行

     19日(快晴) 鷹ノ巣登山口 6:00・・・下台倉山 8:15・・・台倉山 9:20・・・池ノ岳テント場 12:15
     20日(晴→曇)テント場 6:15・・・下台倉山 9:25・・・登山口 11:10
     メンバー : TH(記)、+1


平ヶ岳には、どうしても愛妻を連れて登らなければならなかった。
中ノ岳と飯豊の小峰には家内を立たせたので、最後の宿題として残った頂である。

「平ヶ岳は、展望がなければ意味がない」と考え、何度かのチャンスを見送り、皇太子ルートも検討し、逡巡しながら機会を伺ってきた。

今年も何回かの日程を流し、最終機会の10月下旬に至った。
おかげで、紅葉、展望、眠れない夜、足の痛さなど・・・平ヶ岳を満喫した。
山頂部にテントを設営してから翌朝までは、他の登山者に一人も逢わず、ラブラブ老夫婦のみの贅沢な山だった。

最初に平ヶ岳に登ったのは、高校1年のとき。
山麓の従兄妹の家に泊まって、単独で山頂を往復した。

「遠いぞ」と聞かされていたので早朝に歩き始め、9時前には山頂に着いていた。
しかし山に不慣れだったので、前坂のきつい登りでへばった事を思いだす。

20歳の誕生日には、独りで山頂の湿原に泊まった。
74cmのキスリングに“ さかいや”のツェルトを持参して。
当時の教科書に従い、テント周りに排水溝を掘ったことは事実だから、正直に告白する。
その後も何回か登ったが、次第に観光地化していったこの山から足が遠のいた。

池の岳を目指す連れ合い
平から兎・中・丹後
翌朝も快晴
10年前に越後三山から尾瀬まで縦走した際、山頂付近のホワイトアウトで進めずに、寒さに震えた1日は強烈な印象を残している。

その上越国境の稜線を眺めた連れ合いは、「よくも、雪のある時期にこんなコースを独りで歩いたもんだ」と言った。
山を知らない者の言である。

晴天の残雪期には、鼻歌交じりだ。
“ 晴天”ならば。
その時は吹雪の中で、シュラフカバーのみの天幕は寒かった。

「あの時、雪の中で一夜を過ごせたのだから」と、今回もシュラフは持参しなかった。
甘かった。ファスナーが壊れたカバーは、寒かった。

夜半に家内のダウンジャケットを借りたが、寒さと背中の痛さで一睡もできなかった。
隣のシュラフからは、健やかな寝息が聞こえていたのに。

「起きぬけに温かいラーメンでも」と思ったが、初体験のコンロの不調でそれも駄目。

2日目の朝も快晴で、テントを出ると一面の霜だった。寒かった訳である。

登りの際に、連れは池ノ岳の登り始めで足の不調を訴え、休んだりカメになったりして山を楽しんでいた。

彼女は、下りでも大いに楽しんだ。
あの前坂で、である。

かつてはハーネスやザイルにも触れたはずだが、岩っぽい下りを“ 慎重に、慎重に”歩いていた。
内緒にしていたが、実は私も足先の痛みに泣いていた。

ほぼ同時に大田山の会に入った直近上位の先輩:Kさんのお下がり靴(カモシカ製ワイルドキャット)のせいか、下りの指の痛さは尋常でなく、これも初体験となった。

下山後は、尾瀬口船着場に近い従兄妹の家で一服させてもらい、沢山の野菜を土産にして、紅葉盛りのダムサイトを帰路についた。

※ 山頂の一角から、六日町や守門の屋並みが見えることを知り、自分としては大発見だった。
電子地図等で正確な場所を確かめてみたいと思っている。

2014/10/19 「会山行」 御前ヶ遊窟

    メンバー : (L) OSe・ノリ・ON

    六日町IC 4:30--小出IC--長岡北バス亭--津川IC--阿賀町棒目貴集落--
    登山口駐車場 7:10・・・・シジミ沢出合 8:30~8:40・・・・御前ヶ遊窟山頂 10:00~10:30・・・・
    ソウケイ新道・・・・登山口駐車場 12:35--七福荘入浴--六日町IC 16:00


御前ヶ遊窟という不思議な山名を耳にした。
三省堂の日本山名事典には御前ヶ岳、御前峰、御前山などが載っているが、御前ヶ遊窟という山名は見当たらない。
今回、登った御前ヶ遊窟は、津川町、鹿瀬町、上川村、三川村が合併した阿賀町にあり、標高は846mの低山であるが、雪崩に磨かれたスラブが広がる。
みちぐさの総会で、会長が御前ヶ遊窟の名前を出したので、筆者は前々から行ってみようと、いろいろと調べていた事もあり、口を挟んだら、会山行として担当を言いつけられてしまった。口は何とやらであった。

御前ヶ遊窟は、平安時代中期の余五将軍平維茂(たいらのこれもち)の夫人が岩窟に隠れ住んだという伝説があり、旧三川村には維茂が建立したといわれる平等寺がある。
長野県上田市に将軍塚と呼ばれる平維茂の墓があって、その昔、越後と信州に勢力を張っていたらしい。
御前ヶ遊窟は、御神楽岳の東8kmにあって、南西には500mほど離れて井戸小屋山がある。
新潟県地質図によれば、火山岩・礫岩・砂岩等が分布する津川層と、凝灰岩、暗灰色泥岩が分布する七谷層との境界付近にあり、地形の浸食が激しく急峻な渓谷となっている事から、七谷層が卓越する凝灰岩の山らしい。

今回の山行は、会長、ノリさんと筆者の3人である。それぞれ高速道路のインターとバス停で待合せをして、磐越道の津川インターで降りて、柴倉川沿いを棒目貴まで行く。

登山口は、舗装道路から左の林道に入って、300mほど行ったところにあった。 狭い駐車場に車が2台停まっていた。

仕度を整え柴倉川の右支川である鍬沢に下り、右岸の鬱蒼とした林の中を歩く。
朝日に照らされて左岸の急峻な岩壁が輝きを強める。紅葉も見ごろ迎えている。

入渓点であるシジミ沢出合に1時間半位で到着。
木々の奥に妙義山を彷彿させる岩峰が、青空をバックにニョキニョキと立っている。

シジミ沢の下部は薮に覆われてぬめっているが、藪を抜けると目の前に乾いたスラブが広がる。

沢の右側に所どころロープを張ってある。我々は気の向くままに中央を登る。

岩の表面は風化が進みザラザラとしていて、アクアステルスの沢靴はフリクションが効いて登りやすい。

沢の右側上部にヘルメットを付けた登山者が2人登っている。

我々は、当初、斜面の左側を登っていたが、上部はかなり傾斜がきつくなり、ホールドの少ないスラブ(雪崩で磨かれたか)が広がるので、薮をトラバースして右の方へ転ずる。

藪を抜けると一段と急峻となるが、ホールドが多いので面倒でない。
ノリさんが斜面左側の垂直のガリーに挑んだが諦めた。

沢の上部は奇岩の岩峰に囲まれた壮大なスラブが広がっていた。
フリクションが効くから登路は好きなよう選べるが、もしも、滑ったら止まらないだろうなという思いが頭をよぎる。

スラブを過ぎると薮が始まり、藪の中の踏み跡をたどると大きな洞窟が現れた。 洞窟は二つあり、大きい方の洞窟には、石を積上げて神様を祀っている。

この洞窟が、維茂夫人が住んだという御前ヶ遊窟であるらしい。
しかし、急峻で水も無く暮らすにはすごく大変な場所に住んだという伝説が、なぜ生まれたのか不思議な気がする。

御前ヶ遊窟の山頂は、この洞窟の頭上にある。

洞窟の左に進路をとり、上部のスラブを経て稜線に達したら踏み跡を右に進む。

山頂へ着くと鋲付の地下足袋を履いた年配の登山者が2人いた。 いずれも県内の人だという。

山頂は狭く周囲が切れ落ちている。
落ちれば当然命は無い。ここで周囲の山なみを眺めながら昼食とする。
シジミ沢の出合から山頂まで1時間20分であった。

山頂に30分ほどいて下山にかかる。
洞窟まで下りて尾根道のソウケイ新道に向かう。
尾根道は痩せ尾根で、ところどころ鎖が付いており油断が出来ない。
鍬沢の河床に降りてようやくほっとした。

車に荷物を積み込んで、七福荘で汗を流して帰路についた。
御前ヶ遊窟は、天気の良い時に、また登ってみたいと思う山であった。 ・・・・ OSe(記)
御前ヶ遊窟・・・微妙なイメージのその場所に惹かれた。
登山口から延々と山道を進む。シジミ沢の出合で一服。

ここからスラブ帯の登りが山頂付近まで続く。ふくらはぎが伸びっぱなしで、ザ・スラブ歩きという感じ。
スラブも終盤にさしかかる頃、待望の御前ヶ遊窟が現れた。

中は横に広く、天井も高い。わたしの部屋より広いんじゃない?壁には燭台らしきものもしつらえてある。
なぜかお供え物も。 しかも食器のようなものまで。
(これは後世の現代人のものだろうが)
しかし、ここまでかの御前様が登ってきたとは到底信じられない。

まあ、私も来たくらいだから来れないことはないだろうが、どうして? 世の中には凡人では考えられないようなことが起こるのかもしれない。
歴史ロマンに思いを馳せるには充分すぎるシチュエーション!

遊窟から左へ回り込みすぐ上の尾根に出る。右手に見える山頂はすぐそこだ。 パンパンのふくらはぎを頼りに山頂まで。
ところどころ紅葉がスラブに映えて素晴らしい。この時期が一番いいのかもしれない。

下山のソウケイ新道は尾根までが複雑なルートだが、尾根は潔くスパッと落ちていて尾根の気持ちがよくわかるルートだった。
ほぼ半日仕事で下山し、通り道のナントカノ湯に浸かって帰路に着いた。 ・・・・ ノリ(記)

2014/10/19 巻機 ヌクビ沢

    メンバー : AS

クライミング友達のおだまきのSさんが米子沢に入るので、この日私はヌクビ沢から入ることにしました。

頂上で会おう!と約束しましたが、朝ゆっくり出発してしまい、間に合うかどうか微妙な時間。
少し急ぎ目に行動することにしました。

久しぶりのヌクビ沢。この日は天気も良く、多くの人が入っていました。
私の記憶ではそんなに沢に入らないルートと思っていましたが、

沢に近づこうと思えば、いくらでもルートを変えることが出来るのだと知りました。
沢沿いに歩いている人もいて、良いアイデアを頂いたような感覚でした。

私も挑戦したいと思いましたが、今回は時間の関係もあるので、次回の楽しみにすることにしました。

日が昇ると10月とは思えないほど気温が高くなり、汗ばむほどでした。
昨年のこの頃は雪が少し積もっていて寒かった記憶があります。
そんな記憶があり、米子沢も不安でしたが、まったく問題が無かったようです。

ちょっと苦手な部分も水量が少ないので、簡単に乗り越え、思ったよりも早く割引岳に到着しました。

Sさん達がまだ着いてないようなので、巻機山を周回することにしました。
紅葉はもうほとんど終わっていて、山々の色は茶色一色でした。

空気や陽射しは暖かかったですが、日陰では地面が凍っているところもあり、冬の訪れを感じました。

なかなか出会わないのでSさんに不安で連絡すると、もう下山しているとのこと。
どこかですれ違ってしまったようです。少し残念でしたが、おだまきさん達が無事に下山して安心しました。

今年最後の巻機山かなと思い、景色と出会う人を楽しみながら足早に下山しました。

2014/9/28 貸切りの山稜 会津 七ヶ岳

     黒森沢登山口 6:30・・・・山頂 8:40~9:30・・・・下岳11:00・・・・林道 12:20・・・・登山口 13:00
     メンバー : TH(記)、+1


七ヶ岳の存在は中学を終える頃には知っていた。
写真を見て、「八海山みたいだな」と勝手なイメージを抱いていた。
登ってみると、少し岩っぽい山体と藪の感じが似ていたようにも思う。
気になる山だったが、特に狙っていたわけでもない。

Mの名言「百姓山岳会は嫌だ。春秋のベストシーズンに山行を組みにくい」を思い浮かべながら、農作業が続いた9月、家人をなだめるために登った。

護摩の滝
9月末の快晴の休日だったが、人が居なかった。
紅葉の盛り。 簡単に登れる山。 なのに、単独行の男性1人と逢ったのみ。 それも、山頂で5分ほど一緒だったにすぎない。

貸切り状態の山だった。
前日に御嶽山の噴火があったとはいえ、あまりの静けさに不安さえ感じるほどだった。
まだ放射線量が高く、地元の皆さんは敬遠しているのか・・・と。

林の下と沢中を通る黒森沢沿いのコースは、たぶん夏は涼しく快適だろう(アブ害を除く)。 ただし、残念だったこともある。
メインの滝登りの部分には、これでもかと言うくらいに、色あせてくたびれた感じのロープが下げられ、少しオーバーに言えばソーメン流し状態。
景観への配慮もほしい気がする。

滝の部分は巻き道を使ったが、すぐに沢にもどる。
左岸に、前述のようなロープがずっと張られているが、あまり必要性も感じないで、階段状のスラブを登る。

ただし、一般ルートの下りコースともされているが、ロープがあるとはいえ、気軽に初心者にも紹介しているのには違和感がある。
下り始めて「しまった」と思い、肝を冷やす登山者もあることだろう。

黒森沢上部
「何でこんな簡単な沢を早く歩けんのだ!」 との苛々を押し殺し、「いつまでも待つわ♪」 と言うような “ じっと我慢の子 ”で、連れ合いを振り返りながら登った。

笹のトンネルを抜けた山頂直下で視界が開けると、スキー場の頂にデンと構える電波中継塔が激しく目ざわりだ。

一等三角点の山頂は、藪も低く眺望がほしいままであるが、残念なことに山の同定ができない。
判るのは、越後三山、平ケ岳、会津朝日から御神楽岳くらいまで。
磐梯や飯豊、日光、那須方面は、「○○山だろう」とは思うが、確信が持てずにもどかしい。
スマホを駆使すれば簡単に判るものと想像するが、生物学徒の私はガラパゴスを愛するので、それもかなわない。
せっかく、双眼鏡と50万図を持参したのに・・・。

七ヶ岳稜線
「七ケ岳の山稜をたどるのは時間を要する」というので、展望を無垢な心の印画紙に焼き付けてから、突起越えの道に踏み込む。
岩稜歩きという感じは全くないが、道脇の藪のグレードは高い。 「若くても、この藪は歩きたくない」という感じだ。
力を尽くして突破したとしても、代償に体中の引っかき傷の生贄を求められるのは必定である。

時おり足元に岩が出る峰歩きを約2時間で、下りにかかる。
下りは、疲れたという感覚を味わうほどもなく林道に出てしまうのだが、周囲の林が良かった。

下り始めの尾根には、ヒトツバカエデ(葉が全く切れ込まない楓)が多い。 その黄葉を透過した陽光が美しい。
その光の中を歩く妻もまた美しい――と綴ることができればよいのだが・・・。
ひと下りしてブナが目に入るようになると、真っ赤な実が道に落ちていた。

色づきがピーク時期のナナカマドだ。 10m程の樹もある。 こんなに背の高いナナカマドを見たのは初めてだ。
陽光に輝く紅の実が心に染みる。

林道歩きは、いつだってあまり好ましいものではないが、車まで戻る道は無粋だった。
周囲の景観も見るに値しないし、暑くて、埃っぽくて、歩きにくい。
ときどき、土煙を舞いあげてツーリングのバイクやジープが通って行く。
「林道はもう十分だ」と思い始めたころに車に帰り着いた。

10台程度は停められるスペースに、我が愛車のみ。 「時節の良い好天の名山に、なぜ登山者が居ないのだろう?」と思い続けた贅沢な秋の山を終えた。
「核心部は、車の往復」と心得ているので、連れと喧嘩しないように注意し、気を引き締めて帰路のハンドルを握った。

2014/9/20-22 『会山行』 水無川 オツルミズ沢

  メンバー : ON、MT、AS、HR

  20日(晴れ) 千之沢小屋駐車場 6:00・・・オツルミズ沢出合 6:25・・・カグラ滝上 8:00・・・サナギ滝下 11:00・・・
           滝上15:45・・・BP 16:50
  21日(晴れ) BP 6:00・・・80m大滝下 10:00・・・滝上 11:00・・・郡界尾根最接近部BP 15:00
  22日(霧)   BP 6:10・・・駒ノ小屋 9:00~9:45・・・枝折峠 12:45



20日
駐車場から林道を30分ほどで出合に着く。
今まではここから入渓していたのだが、今回は時間短縮の為、ショートカットで巻道をカグラ滝の中段まで行く。

残置ボルトを支点に早速アンザイレンしてOトップで取り付く。

上部で右の薮に入り、ブッシュを掴んで強引に登り、右から回り込むように滝上に出る。


ゴルジュの中の小滝を、時に腰まで水に浸かりながら越えて行くと、天空のV字の切れ目から水が流れ落ちているのが見える。 サナギの滝だ。

気持ちが奮い立つが、行く手のゴルジュは雪渓に阻まれており、右岸のルンゼから高巻きに入る。

郡界尾根に上がっている枝沢を2つ3つ、1つは懸垂をしながら越えて行く。
枝沢はどれも急峻だが水量は無いに等しく越える難しさはない。
右上しながら巻き上がりサナギ下の連瀑帯下部に下りる。ここのスラブ滝を快適に登ればサナギの滝下に着く。
さあ、いよいよサナギ滝の登攀だ。

右岸のブッシュ混じりのスラブ帯を登るのだが、まず、右岸に5mほど上がり、ブッシュでビレーを取ってH君トップで登ってもらう。

急だがフリクションは効くしブッシュが所々にあるのでそんなに難しくは無い筈だが・・・ザイルが落ちてきた??


どうやら固定の際に落としたらしい。
もう1本のザイルでOトップで登り、Aさん、Mさんに登ってもらう。

ここから更に垂壁下のテラスまでザイルを伸ばすのだが、落石の音で見上げるとなんと!カモシカがいるではないか。その落石がAさんに当たったようだが幸いにも事なきを得た。
これ以上落石を起こされてもかなわんので、刺激しないようになおかつ早く、全員テラスに集合。

いくら四足でもこんな急峻なところから下へ降りられるんだろうか。彼の行く末が少し心配になる。しかし、我々もここからが今回の核心部。40年の間にブッシュも育って丈夫になったようだが、こっちの体力はだいぶ落ちた。



ザックが後ろに引っ張られるような壁をクライミングというよりは、ほとんどブッシュを掴んで腕力で登る。

1ピッチで懸垂支点に届くと思ったら、5mほど足らず、岩壁の途中にハーケンを打って後続を待つ。

懸垂場所は狭い上に、残置ハーケンの信用度もイマイチで気が抜けないところだ。
15mで落口に立ちようやく皆一息をつく。 さて、あとは今日のねぐら探しだ。

小さな巻きから一旦沢床に下りたものの、お釜+ゴルジュが続くようで再び巻き上がり、小尾根を越えたスラブに今宵のねぐらを求めた。
比較的大きな階段状のスラブでテラスといえるような場所もあり、焚火もできたりして、オツルミズでは贅沢な場所だった。

但し、雨が降ったらすぐ高みに逃げなくてはならない。

幸いあまり寒くもなく、満点の星空の下で夜を明かすことが出来た。


21日 今日もいい天気だ。急斜面を避けスラブを少し上がり薮に突っ込む。

相変わらず右岸側を高巻いており、沢床からは200mくらい上がっていると思われる。

まず目指すは80m大滝だ。薮は濃いが稜線の薮の比ではない。
トラバース気味に漕いで行くと垂直の崖の上に出、下のルンゼが80m大滝に繋がっていた。
20mの懸垂でルンゼに降り、大滝の中段に立つ。


80m大滝は、下からは今まで登った記憶がなく、今回楽しみにしていた所だ。
遠目には厳しそうだが意外と登り易い。
1ピッチで落口に立つと今までとは打って変わって穏やかな渓相が延びていた。

そこからは、20~30mの滝が次々と現れ、登れない滝は小さく巻き、雪渓も時々現れブリッジの下をくぐったりしたが、気持ちのいい遡行を続ける。

やがて、雪渓に埋め尽くされた谷を越えた小尾根の末端で、少し早かったがこの日の行動を終了した。

ここは郡界尾根から家ノ串尾根への下降地点付近で、尾根までは近い。

前回はここから郡界尾根に上がり、薮漕ぎでフキギ下まで行き、沢床で2日目のビバーグをしたことを思い出した。

傾斜地の草付であったが、沢床も近く水がとりやすかったのでぜいたくは言えまい。
Mさんがちゃっちゃと転落防止用のザイルをセットしてくれた。 次にやることを読んで動く、流石である。

夕日を眺めつつの憩いのひと時は、何とも言えず心落ち着く時間だった。
それに比べ、ハーネスを付けザイルに固定してでの就寝は、マットで滑るせいか夜中に何度もずり落ち、寝不足気味で朝を迎えることとなった。
22日 朝から谷はガスに覆われていたが、雨が落ちてくる気配はなく、沢通しに進むこととする。
沢床へは10m。 ゴボウで下りられるが、荷物を背負っているので懸垂で下りる。

左岸側は駒の山頂に続いており、遥かなる高みに感じられるが、右岸側は郡界尾根が近くに迫っていることもあり、ガスの切れぎれに稜線が確認でき、沢中は明るく開けた感じである。



初っ端から10m前後の小滝が次々と現れ、小さく巻く滝もあったがほとんど登ることができ、雪渓もたいして残っておらず快適に遡行していく。

フキギ下を通過し、やがて両岸が草紅葉に覆われはじめ、赤い実を付けた木イチゴの群落が現れると駒ノ小屋が近いことを知る。

まだ先かなと思いながら源頭の雰囲気の中を歩いていると、沢に敷設してある木の升が目に入り、小屋下の水場だと気づき、左に着けられた道をあがって駒ノ小屋に着いた。

2階の窓からノリさんが顔を出していた。 昨日からサポートで小屋に泊まっていてくれた。 ありがたい。
十分休んで、下山はお言葉に甘え枝折峠に下り、登山口の駐車場まで運んでもらった。

オツルミズ沢は水無流域第1級の沢で、険谷で知られている。
初めて登ったのは40年前の11月2~3日だった。
あれから5回目になるだろうか。前回登ったのは2004年の10月で、年をあけて登って来た為、ルートの記憶はかなり薄れていた。

登山靴で登っていた時代からアクアステルスで登るようになり、装備は進化してきたが困難さは今でも変わらない。
もう登ることはないだろうと思っていたが、AさんやH君の体力やMさんの技術に助けられ、また、天候にも恵まれ充実した遡行をすることが出来た。

「困難な山行が、充実した山行となるには、仲間の力があってこそ」を改めて実感できた山行だった。
また困難な山行ほど仲間のサポートがありがたいことはない。 ・・・・ (記) ON


「たくさんのことが詰まっていて溢れそうな沢」(変な意味ではないのですが・・・)
総会で決まったオツルミズ沢。 その時から「行けたらいいな~、行けないだろうな~」なんて思いながらの半年後。

今を逃したら行けない気がする!、そんな急き立てられるような気持ちになり立候補しました。
ただ今季初めての沢になるということ&体力、技術の不安でいっぱい。
直前に会長さんには相談したり、装備を揃えたりとバタバタの準備になりました。

オツルミズ沢は滝も藪も素晴らしく、様々なストーリーが描ける沢でした。
藪は深くなかなか手強かったけれども、登りごたえがあって、よいスパイスとなりました。

また3日間共に天気に恵まれ、満天の星空の下、シュラフのみで野営したことは最高の思い出です。
(ただ2日目のやせ尾根での寝床はずり落ちる身体を保持するのが大変でしたが・・・)
そして、かわいい!なんて思っていたカモシカからの落石に命中したことも・・・いい経験になりました。

楽しいことばかりだけでなく、今回は反省点が多く、技術不足を強く感じる山行になりました。

雪渓処理や支点の取り方以外に懸垂ポイントの探し方、藪のルートの取り方など多くの課題を再確認することができました。
今後技術に磨きをかけて、また挑戦したいです。(また10年後でしょうか・・・?)

怪我なく(カモシカの落石除き)、全行程を終えることができ良かったです。
リードをしていただいたOさん、私のミスを拾ってくださったMさん、発案してくれたH君、ありがとうございました。

そして、ゴールの駒ノ小屋にて、温かい笑顔で迎えてくださったノリさんには感謝です。 たくさんの果物、美味しかったです。 ・・・・ (記) AS

越後駒ヶ岳の二万五千分の一の地形図を見ると、山頂付近であるのに一個の谷を形成し蛇行しながら流れ落ちるオツルミズ沢がすぐに目に入ります。

沢登りの素人でも歩いてみたいと思うような沢です。
しかし、オツルミズ沢を歩いたことのある諸先輩方にお話を聞くとひどい藪漕ぎばかりの沢登りになると言われます。

雑誌を読むと本当に越後駒ヶ岳を味わいたければオツルミズ沢を登れ、きっと素晴らしい遡行になると言います。

果たしてオツルミズ沢の実態はいかなるものなのか。
今回オツルミズ沢の遡行に参加させていただいて、結果いろいろと失敗してしまい悔いは残りましたが、3日間ともほとんど晴れ、慣れない草つきにも苦労はしましたが、オツルミズ沢はまた来たいと思える雄大な沢でした。

今回、私はついていくのに精いっぱいで、自分が一体今、オツルミズ沢のどの辺を歩いているのか全く把握できていませんでしたが、これから技術を身につけて何度も通い、この沢を深く知りたいと思います。 ・・・・ (記) HR